石にきざむ  16件

第十六回 電信柱が語る

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』16    平成二十八(二〇一六)年六月、一本の電柱に看板が付いた。場所は現在の福岡県筑紫野市二日市中央四丁目になる。その電柱看板には「二日市の夢野久作」として、夢野久作が書いた『父
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第十五回 幻の薩長筑同盟

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』15    慶応二(一八六六)年一月二十一日、京都の薩摩藩邸で「薩長同盟」が成立した。薩摩の西郷吉之助(隆盛)、小松帯刀、長州の木戸貫治(孝允)らが出席し、坂本龍馬が立会人だった。こ
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第十四回 「加藤司書公に学ぶ」会を節信院で開く

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』14    銅像の代わりに大きな石玉がある加藤司書公の台座だが、銅像を再建しようとの動きが出てきた。そのキックオフとしての講演会が三月二十五日(平成二十九年)の午後、節信院(福岡市博
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第十三回 インド・カリーと加藤司書公

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』13    大きな石玉を戴いた加藤司書公銅像台座だが、その台座左手前には「加藤司書公略伝」と彫りこまれた碑がある。略伝の末尾に「加藤司書公並筑前勤皇志士百年祭」とあり、委員会長 進藤
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第十二回 「石玉があった」

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』12    もしかしたら、銅像があるかも。そんな思わせぶりの加藤司書の案内看板だが、実際にその場に行ってみると、口があんぐりと開き、肺の中の空気が漏れそうになる。  まるで、筥崎宮「
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第十一回 「加藤司書歌碑」もありながら

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』11    西公園(福岡市中央区)の光雲神社(てるもじんじゃ:藩祖黒田如水、初代藩主黒田長政を祭神とする)の裏手には加藤司書の記念碑がある。その案内看板には、銅像の加藤司書の写真があ
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第十回 わびしいばかりの「加藤司書記念碑」

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』10    平野國臣の銅像がある西公園一帯は遊歩道が整備されている。展望台からは、博多湾を望むことができる。遠く、箱崎埠頭や西戸崎(福岡市東区)が見える。あらためて、外海に開けた福岡
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第九回 西公園の平野國臣像

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』9    桜の季節、福岡市内の名所といえば西公園になる。福岡城跡から博多湾に向けて小高い山があるが、荒津山とも呼ばれる一帯が西公園になる。この荒津山こと西公園に桜などが植えられたのは
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第八回 平野國臣の思い

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』8    京の都を追われた七卿だが、そのなかの澤宣嘉は文久三(一八六三)年十月十二日に福岡脱藩浪士の平野國臣とともに生野(現在の兵庫県朝来市)で決起した。形勢を挽回しようとするととも
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第七回 七卿記念碑から

浦辺登   『南洲遺訓に殉じた人びと』7    五本の筋が入った塀、風格のある門構えの延寿王院だが、不思議と参詣客や観光客の目にとまらない。太宰府天満宮宮司の西高辻家の表札もあるが、天満宮の付属施設のようにしか思われてい
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