第2回 「貴方たちゃあ、何しに…」

                                       前山 光則

 最近、必要があって『五足の靴』(五人づれ・著、岩波文庫)を読み、関連する土地へ行ってみたり調べものもしている。明治40年(1907)の夏に若き与謝野寛・平野萬里・北原白秋・吉井勇・木下杢太郎の5人が九州を旅行した時の、紀行文である。浪漫主義文学を志した彼らの意気込みが溢れているし、当時の九州の民間風俗も活写されていて面白い。
 熊本県の下天草島にキリシタンゆかりの地を訪ねるくだりが特に読みごたえがあって、道の悪い海岸線や山中で道に迷ったり、蟇を飲み込もうとする蛇に出くわしたり、日が暮れて往生する等、彼らは苦心惨憺だ。でも苦労の甲斐あって、大江天主堂でフランス人宣教師「パァテルさん」に面会することができる。異国情調・南蛮趣味を恋うて東京からわざわざ旅して来た彼らにとって、喜びも一入ひとしおだった。このパァテルさん、飯炊き係の男の人に「茂助もおすけ善よか水を汲くんで来なしゃれ」と指示するし、五人連れ一行には「上にお上がりまっせ」と懇ねんごろに勧める。日本語どころか天草弁がえらく達者なのだ。
 だが、パァテルさんに負けず劣らず印象深いのは村人たちの反応だ。カライモと麦飯を常食にして慎ましく暮らす人たちは、H生(北原白秋)と 喋っているうちに、5人連れが東京からわざわざやってきたと知って驚嘆する。口々に「貴方たちゃあ、何しにそぎゃん旅あ行るきなはんな?」「そぎゃん金どぎゃんして儲けて来なはったな?」と尋ねてH生を苦しめるのだ。村人たちのこうした率直な疑問が痛快である。
 だが、5人連れも偉いではないか。自分たちの熱い情熱も、村人の前ではヒマ人の単なる酔狂でしかなかったわけである。ちっとも理解してもらえなくて残念だったろうに、村人たちの反応を公平に記したのである。彼らは後にそれぞれの成熟を果たして行くが、やはり5人とも並でないものを持っていたのだ。
(2010年2月25日・木曜)