第12回 牧水を読みたくなった

前山 光則

 雨がよく降る。降らない時はうす暗く曇るし、なかなかカラッと晴れてくれない。こう毎日雨や曇り空ばかり見ていると、気持ちまで湿りがちになる。
 ふいに、『若山牧水歌集』(岩波文庫)を読みたくなった。それも、気ままにページをめくりたい。
 実際、拾い読みしてみた。
 やっぱり牧水は味がある、とあらためて感心する。以前から感じていたことだが、印象鮮烈なのは、

   白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
   けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く
   幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

こうした若い20代の頃の作品だ。実際、胸にキュンとくる。しかし、後年の何気ない作も親しい気持ちで読めるなあ、と思うのだ。

   飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり
   うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
   瀬瀬に立つ石のまろみをおもふかな月夜さやけき谷川の音に 

 細やかで落ち着いた眼の動きや感覚の働かせ方が行き渡っていて、しみじみとした気持ちになれる。つまり、成熟した大人ならではの歌であろう。
 そして、梅雨の時季の歌。

   雨降れば出づることありてふ天城嶺の鹿を君見き梅雨の雨のなかに
   羨しさよ百山千山わけ行ききあそべる鹿をいまだわが見ず

 愛弟子が伊豆の天城山に登った際に、鹿が遊んでいるのを見たのだという。それを愛弟子から聞いて詠んだ歌だそうで、牧水は、自分はあっちこっち旅をしてたくさんの山に分け入ってきたが、まだ鹿の姿を見たことがない、と羨ましがっている。今、「百山千山」で数が増えすぎて問題になっている鹿。あの頃はこんなにも珍しかったか。他愛もないことが詠まれているだけだろうが、なんとなく心が和んでくるから不思議だ。
 また雨が降ってきた。まあ降るだけ降ってくれ、今日はずっと本を読んで過ごすから。

▲宮崎県日向市東郷町坪谷の若山牧水生家。
春の桜の頃の一葉。昔のままの姿で保存されている

2010年7月3日