連載コラム: 『本のある生活』 2010.09.28

第22回 三鷹駅前散歩

前山 光則

 前回に続いて、東京旅行のことである。
 9月15日(水曜)、JR三鷹駅前をぶらついたのだ。駅のすぐ横を玉川上水が流れており、作家・太宰治が昭和23年に山崎富栄と共に身を投げたあたりまで歩いて10分もかからない。今年の早春の頃にも来たのだが、今回は水量がえらく少ない。しかも前回の方が上水を覆う木々はまだ冬枯れ状態で、いかにも太宰の悲劇を偲ぶのに格好の暗さがあったよなあ、などと思った。目を凝らすと、木々の茂りの下に鯉がたくさんうごめくのが見えた。緋鯉も結構混じっており、市民の目を楽しませるために放流してあるのだろうか。
 すぐ近くの三鷹市山本有三記念館にも入ってみた。名作「路傍の石」を高校生の頃に愛読したので、太宰同様に親しみを感じる。でもまあ、立派な記念館である。山本有三が昭和11年から21年まで住んでいた屋敷を記念館にしてあるのだが、しゃれた2階建ての洋風建築である。表庭も裏庭も広くて、裏庭の池のほとりで休憩したらとても心地よかった。「路傍の石」の作者って裕福だったのだ、借家住まいをしていた太宰治と比べて大変な違いだ、と感じ入った。

▲三鷹市山本有三記念館。大正末期に商社員が
建てたものを山本有三が購入し、住んだのだという。
大正ロマンの雰囲気が感じられ、ほれぼれするくらいに
品のいい建物である

 太宰治文学サロンも、三鷹駅からすぐのところにある。太宰がよく通った伊勢元酒店の跡地にあって、写真や著書等が展示されている。そこへ立ち寄ると、「みたか観光ガイド協会」のご婦人が太宰治のお墓まで10分ほどだから連れて行ってあげよう、とおっしゃった。案内しながら、太宰の行きつけだった鮨屋跡等を2、3カ所教えたり、太宰作品についていろいろと語って下さって、「案内人」というより立派に「研究家」である。
 そして太宰治の墓であるが、禅林寺という古刹の中にある。墓に近づくと、なんとその真ん前は森林太郎つまり鴎外の墓ではないか。ご婦人の話しでは、太宰治の方にはいつも人が来るし、まして6月19日の桜桃忌にはファンや関係者がたくさん集まるが、文豪・森鴎外の墓を訪ねるファンは滅多にいないのだそうだ。「高瀬舟」「山椒大夫」「阿部一族」等の名作を遺していながら実はあまり人気がないのだろうか、と、なんだか鴎外がかわいそうであった。太宰・鴎外両方の墓に手を合わせた。
 三鷹駅前でご婦人と別れる時、武蔵境方面へ線路伝いにちょっと歩くなら太宰の好んだ跨線橋があって、当時の面影が濃厚だ、と教えられた。そこで行ってみたら、確かに古びた鉄骨が戦後間もない頃の雰囲気を漂わせていた。階段を上り、橋の上へ行く。流れる汗が気持ちいい。中央線の電車が走るのを眺め下ろしながら、しばらく体を休めた。充実感のある疲れだった。
 みたか観光ガイド協会のご婦人に案内してもらったおかげで、いろいろ知ることができたのだ。ありがたいことであった。
2010年9月27日

▲太宰治が好んだ跨線橋。古びてはいるが、
まだまだしっかりしている。太宰はどんな顔して
橋から町を眺めていたのだろうか
こんなのもアリマス

Leave a Reply

(必須)

(必須)


Copyright © 2010 GenShobo. All Rights Reserved.