連載コラム: 『本のある生活』 2010.11.20

第28回 蕎麦を食べながら

前山 光則

 先日、友人2人と連れだって久しぶりに歌人・若山牧水のふるさとである宮崎県日向市東郷町の坪谷(つぼや)を訪れた。日向市の町なかから車で約20分、耳川から左に折れて谷に入ると小盆地が現れ、そこが坪谷だ。坪谷川の左岸に生家があるし、右岸には広々とした牧水公園、そして牧水記念文学館もある。
 ちょうど昼時だったので、牧水公園の中の食堂「牧水庵」に入り、3人とも大盛りの蕎麦を注文した。ここのは100パーセント蕎麦粉で、とてもおいしいのだ。

▲牧水庵の蕎麦。大盛りを注文したのは、
あんまりおいしいからたくさん食べたいのだ。
蕎麦の麺はもちろんのこと、汁の味も良い

 牧水庵から窓の外の景色を眺める。山がだいぶん紅葉し、鳥が鳴き、牧水の生家はそのような秋景色の中にちんまりと静まっている。やがて蕎麦が運ばれてきて、つるつると啜る。啜りながら、2人の友人に「牧水は川の水源への興味がものすごく強かったのに、耳川の上流の椎葉村のことはちっとも書いてない。なんでだろうね」と言ってみた。前から気になっていたのだ。「みなかみ紀行」等の牧水の紀行文を読むと、水源へ水源へと旅を重ねている感があるのだ。であれば、ふるさとの奥にある耳川水源すなわち椎葉村へも思いを募らせてよかりそうなものなのに、そのような形跡がない。「いや、それは当時、椎葉など山深い不便な僻地だったろうから」、友人の1人が答えた。「うん、いや、どうかねえ、柳田国男なんかは明治41年に椎葉に来てるよ」と首をかしげながら蕎麦を啜った。
 どんぶりが空になる頃になって、牧水が大正元年の帰省中に生家で書いた文章「曇り日の座談」のことが、ピカーッと閃いた。その中で牧水は「渓のことを言はなかつた。名を呼ばれたのを聞かぬが、村が坪谷だから坪谷川とも云ふのであらう」と語っている。生家の真ん前を流れる川だというのに、「名を呼ばれたのを聞かぬ」のはなぜか。それはきっと、「坪谷川」などと呼ぶ必要もないくらいに慣れ親しんだ、存在して当然の「川」だったからなのだ。
 目の前を流れる「川」は、坪谷の集落から7キロほども下ると大きな流れつまり耳川と合流するのだが、その大きな川の方は小さい頃から慣れ親しんでいたとは言えない。慣れ親しんだ坪谷の川には、名は要らぬ。しかし、そうでない川の方には名がついていた。その縁遠い川を「耳川」と正しく認識する必要が、少年の日のいつの頃にか生じたはずだったのだ。耳川には、その後だいぶん懐(なつ)いたろう。だから大人になって「あたたかき冬の朝かなうすいたの細長き舟に耳川下る」との秀歌を詠む。だが、その最上流部、水源をなす椎葉村となると、ついに懐く機会も訪れぬまま山々や霧のずっと奥に隠れて久しい、縁遠いところでありつづけたのではなかろうか。
 こうした生煮えの考えを2人に聞いてもらいたかったが、まだ蕎麦を食べ続けていた。いいや、また次の機会に喋ろう、と思った。

▲牧水公園の若山牧水銅像。
旅を愛した人、牧水。ずっと遠くの方を
眺めわたしているような姿である
こんなのもアリマス

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