第50回 現地からの声を読む

前山 光則

 この頃、近所で晩白柚(ばんぺいゆ)等の柑橘類の花々が濃厚な香りを発していたが、今日あたりは少し散りつつある。代わって目立つのが青梅である。丸くて、つやつやして、鈴生りだ。木々の緑も濃くなって、初夏の趣きというよりも早や梅雨前線が近づきつつあるような、そんな気配すら感じられる。
 さて、前回、若松丈太郎詩集『北緯37度25分の風とカナリア』(弦書房)のことにちょっと触れたのだったが、その原稿を送ったのと入れ替わるようにして同じ著者の新刊『福島原発 南相馬市・一詩人の警告 1971年~2011年』(コールサック社)が届いた。さっそく読んだ。原発をテーマに書かれた詩やエッセイ15編が収められ、巻末に鈴木比佐雄氏による解説が付されている。
 若松氏がずっと以前から原発の問題点に気づき、それがひいては地域の生活文化を破壊してしまうことを警告しつづけてきた人であることは、詩集を読めば察せられる。しかし、このたびのこの本はその考えがもっと具体的に伝わってくるし、さらには現在ただいまの現地の情況もレポートされているのである。

「わたしの住居から、浪江・小高原発は一五㎞、東電福島第一は二五㎞、同第二は三八㎞の距離にある。立ち入りが禁止されているチェルノブイリ三〇㎞圏内の、耕作を放棄した農地や、人が消えたプリピャチ市の荒涼たる風景を、わたしのまちの風景に重ねる想像力をもつことはきわめて容易なことだ」(「チェルノブイリに重なる原発地帯」)

 これは5年前に書かれたエッセイだそうだが、今回、氏の予言はものの見事に的中したことになる。しかも、警告しつづけてきた本人みずからが、現在、原発難民として苦しまねばならないわけで、現状レポートの中で氏は「危惧したことが現実になったいま、わたしの腸は煮えくりかえって、収まることがないのだ」(「原発難民ノート―脱出まで」)と記す。この煮えくりかえった心情は並大抵なことで癒せるものではないだろう。
 また、巻末の鈴木氏の解説を読むと、4月9日、若松氏に同行して現地を巡ったのだという。小高区の埴谷島尾記念文学資料館が破壊されていないか見に行ったところ、福島原発20キロ圏内で立ち入り禁止区域となっていた。しかし若松氏が資料館の関係者ということで立ち入りができて、中は展示されていた写真パネル等が下に落ちていたものの建物は大丈夫、津波にやられていないことが確認できたという。そこはわたしも若松氏の案内で2度訪れているので、ホッとした。 
 ただ、島尾敏雄氏の父親のルーツである小高川河口付近は色々のものが無残に破壊され、田畑に残骸をさらしていたという。昔の風情を遺す美しい風景が広がっていた一帯、それがメチャメチャになってしまったのかと思うと、もう、胸が痛んでしかたがない。

▲蜜柑の花。花は小さいが、よく香るのだ。近所中に花の香りがただよう。わが町はこの季節の良い香りだけは郷土自慢してかまわぬ、と思う

▲鈴生りの青梅。こんなにびっしりと実がついて、今年は梅の当たり年なのだろうか。これを梅酒として漬け込むにはまだ早い。6月になってから摘むとちょうど良いはずだ