第60回 人吉盆地にて

前山 光則

 先日、神戸市からやってきた客人K氏と共にわたしの車で人吉盆地の中を巡った。
 民俗学者の宮本常一が昭和37年6月にこの地方を訪れている。旅の様子は著書『私の日本地図11阿蘇・球磨』で読むことができるが、K氏がその宮本常一の旅の軌跡を辿ってみたいというので案内したわけであった。
 普通の観光と違って飽きがこない。カンジンドン(勧進殿)つまり乞食(こじき)さんが橋の下に小屋がけして生活している写真が『私の日本地図11阿蘇・球磨』に掲載されているので、まずそこへ行ってみた。それから山江村の高寺院という真言宗寺院、高ン原(たかんばる)台地、青蓮寺、等々。ことのついでに『青春彷徨』や『十七年目のトカラ・平島』等の著作で知られる作家・稲垣尚友氏が昭和50年代の初め頃に錦町一武(いちぶ)に竹細工の修行に来たことがあるというので、どのあたりなのか探してもみた。
 しかし、暑かった。車から一歩外へ出るならカーッと日が照りつけ、汗がしたたり落ちる。なんだかお天道様から無理矢理頭を押さえつけられているような感じだった。ウヌ、へこたれてなるものか。「こういう時、気付け薬に焼酎をカチッとやりたいね」、ついこう口走ったのだが、K氏は顔をクシャクシャに緩めて「元気が出ますよね、実に」と答えた。ああ、この人も焼酎党なのだ、と知った。
 そこで、多良木町の方を通った時、ついでに木下醸造所に立ち寄ったのであった。江戸時代末期の文久2年創業、老舗である。百太郎溝のほとりに立つ茶屋造りと呼ばれる茅葺き古民家、そのたたずまいだけでも風情(ふぜい)があるが、ここで醸される焼酎がまた昔ながらの香りとコクがあって味わい深い。
 K氏が土産用に四合瓶を買ったところ、御主人が自分から「中を御覧になりますか」と奥の方へ案内して行かれる。その後をついて行くと、中はヒンヤリしていて気持ちよかった。仕込み甕や蒸留機等を見せながら、焼酎造りについて説明してくださる。そして敷地の奥の古い蔵、ここには古酒が眠っていた。地下水槽の蓋を開けると、芳香が立ち上る。御主人が盃で中の古酒を酌んで差し出す。K氏が盃を受け取り、呑んでみて、満足そうにうなずく。何度もウン、ウンと。運転手役のわたしは試飲したい気持ちをグッと堪える。
 帰ろうとしたら、炊事場の方から声がかかった。奥さんが茶を入れてくださったのだ。ご厚意に甘えて上がり框(かまち)に腰をかけたら、熱い茶だけでなく冷茶も出てくる。茶請けは甘い冷菓である。突然飛び込んだ我々に対して御主人も奥さんもこんなに親切にしてくださり、恐縮した次第であった。
 この日の人吉盆地めぐり、結局、宮本常一の足跡を辿ることが主だったのか、それとも焼酎蔵元の雰囲気を味わいに行ったのだったか。なんだか分からなくなったなあ。

▲山田川に架かる橋。人吉市内、球磨川の支流。昔はどこの橋の下にもカンジンドンが住んでいた。今はすっかり様変わりしている

▲蔵の中にて。貯水槽の蓋の下に古酒が眠る。この焼酎の銘柄は「文蔵」。数ある球磨焼酎の中で一、二を競うおいしさである