第63回 精霊蜻蛉が舞っていた

前山 光則

 昨日は朝から蒸し暑かった。イヤになるなあとぼやきながら散歩していたら、道端に舞っているものがある。精霊蜻蛉(ショウリョウ・トンボ)だった。ほんとの名前は薄葉黄蜻蛉(ウスバ・キトンボ)というそうだが、8月のお盆頃からきまってフワリと現れるので、なんだか祖霊と共にやって来たような印象だ。しかも、秋の訪れを知らせる使者でもある。それで、精霊蜻蛉という呼ばれ方をする。
 お盆と言えば、こないだの8月15日はふるさとで従兄の初盆だったので、お線香を上げに行ってきた。68歳で亡くなったのだが、もう少し長生きしたかったろうにと思う。永らく病気で臥せった末に逝(い)ったのだ。昔なら60歳代後半での死は人並み程度であったろう。しかし、今は80歳代・90歳代の老人がどこにでもいらっしゃる長寿社会になってきているので、68歳での死はいかにも早すぎる。
 でも、現実には同級生の中にも亡くなる者が出てきているし、親戚や近所でも70歳に届かぬうちに逝くケースが見られる。そういう人たちは、亡くなる前、死を間近かなものとして自覚した時、どんな気持ちだったろう。
 こうしたことを考える時は、35歳の若さで死んだ詩人・淵上毛錢の「或ル国」という作品が浮かんでくる。

  悲シイコト辛イコトヲ
  堆ミ積ネテ
  山ヨリモ高ク
  心ヲナセバ
  風ノ音モ
  鳥ノ鳴ク声モ
  マアナントヨクワカルコトヨ

 わたしは今まで2度、大病のさなか、自分はどう足掻(あが)いても死なねばならぬのだなと、観念したことがある。その時の心の状態が、2度とも毛錢の詩とほぼ同じだった。死神がすぐ横に立ったと意識すると、目の前のあらゆるものがなんともよく鮮明に見えてくるのだ。見えすぎるのが訝(いぶか)しくなるくらいに、はっきり見える。そして「風ノ音」も「鳥ノ鳴ク声」も、しっかり聴こえる。耳が痛くなるくらいによく響くのだ。しっかり見えるし、どんな小さな音も聴き取ってしまえて、仕方なかった。わたしはこの世を全身で懐かしんでいたのだ、と思う。
 しかし、そのような状態になるのは、もしかして幸せなのかも知れない。3月の東日本大震災の時には、年齢に関係なく人々が大津波に呑み込まれていったのだ。ものが見えすぎたり聴こえすぎたりするどころか、いきなり恐怖にさらされ、死の世界へ連れ去られたのだから、さぞかし無念であったろうと思う。
 精霊蜻蛉をちょっと目にしただけでふるさとのお盆のことを思いだし、それからまた、あれやこれや考え込んでしまったのだった。

▲球磨川土手。精霊蜻蛉の写真を撮ろうと思って後で出直してみたが、なかなか静止しないのでダメだった。でも土手は気持ちが良い

▲通草(あけび)の実。わが家の裏庭に通草が茂っていて、7センチほどの小さな実が結構ぶら下がっている。秋には食べられるのだ