第76回 本を読まなかった日

前山 光則

 11月23日(水曜)、午前5時に起床したが、外は雨。それも本降りだし、雷までゴロゴロゴロと鳴る始末。その日、わたしの住む熊本県八代市は、伝統の妙見祭だったのだ。妙見祭についてはこの連載コラム第29回で触れたことがあるが、今年はまたこれが国重要無形民俗文化財に指定された。だから例年よりもさらに盛り上がるだろう、と言われていたのに、ああ、無情の雨、雷……。
 むろん、日課としている散歩にも出られぬわけで、朝食後は井伏鱒二の初期の頃の短編を集めた文庫本『夜ふけと梅の花』を開いた。月に1回、ご婦人方の読書会の講師を務めているのだが、近々この本をテキストにする予定であり、いわば「予習」のつもりである。
 でも、活字に目を注ごうとしても、集中できない。どうしても妙見祭のことが気になる。
 それで、8時頃、とうとう意を決した。雨降りしきり、雷が鳴り渡る中、ビクビクしつつも傘をさして橋を渡り、アーケード通り商店街まで約1キロ半を歩いた。すると、幸いなことに祭の行列がちょうど通っているところだった。たくさんの人が集まってガヤガヤしており、人混みをかき分けるのに苦労した。ここには、悪天候をものともせずこんなに人が詰めかけて笠鉾や飾り馬や獅子を見上げ、行列に声援を送っている。これでこそ祭なのだな。なんだか胸がジンジン熱くなった。
 そして、ガメ(亀蛇)が来た。ガメは、江上敏勝編著『ふるさと百話——八代の史話と伝説総集編』(八代青年会議所・刊)によれば「亀と蛇とが合体した想像上の神虫」である。確かに顔はグロテスクな蛇であり、甲羅を背負っているからには亀なのだ。これが勢いよく走ったり、首を大きく左右に振ってみせたり、体全体を激しく上下させたりするたびに周囲に歓声・悲鳴が上がる。祭の雰囲気はガメの動き次第で変わってくる、と言っていい。その日、ことのほか大きく激しく動くので、やんやの喝采。祭行列は雨や雷に負けていなかったのだ。さらに、大きなガメの後からは子ガメもついてくる。大きな方を大人達が動かすのなら、子ガメは子どもたちの受け持ちである。このようにして後進を育てる仕組みがしっかりしているので、これからもずっと末永くこの祭りは続くことだろう。
 ガメの毛は、縁起物であり、魔除けになるとされ、どさくさに紛れて引っこ抜いて大事に所持する人がいる。それで、わたしもガンバってみようと狙ってみたものの、残念、ガメの激しい動きには追いつけなかった。
 午後は雨も上がった。妙見宮(八代神社)の近くに住む友人から声がかかっていたので、お邪魔した。御馳走が用意してあり、顔なじみの人たちが三々五々訪れて、酒盛りである。昼間呑む酒は殊の外おいしかった。
 結局、その日、『夜ふけと梅の花』は1行も読まなかったのであった。

▲ガメが走る。ガメはほんとに良い動きをする。中に入って動かすのは、何歳ぐらいの人たちだろう。えらく元気者なのに違いない

▲参拝する人たちの行列。酒を呑む前に妙見宮へ行ったが、参拝者の行列が長い長い。写真に映るのは、まだ全体の3分の1程である