第92回 宮城県へ行く

前山 光則

 今回の旅は、女房と共に宮城県の被災地へも足を伸ばした。東京から仙台まで高速バスで行き、塩竈・松島・石巻を巡ったのである。
 わたしたちの2泊した塩竈市内のホテルは港から少し離れた場所にあるのだが、昨年の東日本大震災の時、1階の床上まで浸水したという。ただ2階から上は安全だったので、ホテルは避難所として機能したそうである。
 レンタカーを利用して石巻市へ行ってみたら、ここのやられ方はひどい。春疾風がビュービュー吹き荒れる中、日和山というところから市街地全体を見渡したり、山を下りて瓦礫(がれき)があちこちで山を成しているあたりを見てまわった。壊れた家々が痛々しい姿をさらしている。地盤沈下した箇所が潮水を湛えている。漁船が道路脇に居座ったままのところもあるし、水産会社の巨大なタンクが大通り脇に転がっている。そして、壊れた寺と墓地がある。折しも彼岸で、何人もの人たちが傾いた墓石を前に手を合わせていた。厳粛な、冒しがたい沈黙がそこにはあった。
 町なかへ戻って、バラック建ての復興ふれあい商店街の中で昼飯を食べた。男前の初老の店主が一人でてきぱきと働いていた。牛タン定食を注文したら、焼きたての牛タンの他、キャベツ・大根・人参を使った浅漬けがどっさりと大皿に盛りつけてある。薄い塩味で、まるで野菜サラダをつまむ感覚で食べることができる。肉料理の付け合わせとして最高だ。そしてお椀の牛タンスープを口に含んだら、これがまた絶妙な味わいである。カレーライスを食べていた女房に「啜ってみてごらん」と飲ませてみると、えらく気に入って「あたしもスープお願いします」と追加注文した。牛タンの焼き加減、浅漬けの塩味の程良さ、目が覚めるようなおいしい牛タンスープ、どれも日々をおろそかにせず生きたいとの思いが籠もっているのではなかろうか。この店の名は「天之太助」。「天の助けで今があるから、こういう名をつけた」のだそうである。たくさんの人が津波に攫(さら)われて命を落とした中、生き残れたのは自分の力なんかではない、ほんのちょっとの加減で助かっただけだ。九死に一生を得ることができたという感謝の念が、店の名前にも表れているのだ。
 もう一つ、あちこちで何回も「仙台四郎」にお目にかかったことを言っておきたい。これは江戸時代の末から明治にかけて仙台の町に実在した人気者である。幼少の頃、川に転落して知的障害となった。だが馬鹿にされるよりも皆から好かれ、彼が立ち寄る店は必ず繁盛する、との噂が立った。やがては写真や人形やらが出回り、商売繁盛・家門繁栄をもたらす福の神としてもてはやされるようになった。あの大震災後も仙台四郎さんは健在であり、いろんな店に肖像写真が飾られたり、四郎グッズが土産品店で売られている。天災に痛めつけられながらもこの福の神を変わりなく愛して止まない人たちに、心から敬礼!

▲日和山からの遠望。海岸部方面を眺めたのだが、地盤沈下しているのが分かる。画面左手に見えるのは、市民病院の残骸

▲道路脇の巨大タンク。木の屋石巻水産という会社のタンクで、津波により500メートルほど押し流されてきたのだそうだ

▲仙台四郎。居酒屋のレジ台で見かけた置物。他に肖像画やマスコット人形やらが出回っており、筆者などはずいぶん前に仙台市内でこの人の写真が刷り込まれたキーホルダーを買ったことがある