第101回 果実酒の季節に

前山 光則

 高村光太郎の『智惠子抄』の中に「梅酒」という詩が載っている。その冒頭に「死んだ智惠子が造つておいた瓶の梅酒は/十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、/いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ」とあるが、梅酒の十年ものはどんな味がするのだろう。
 数日前、球磨郡山江村に住む従姉が遊びに来た。いくつか土産をくれた中にあったのが自分ところで採れた青梅、それと氷砂糖、つまりこれは梅酒を造れとの配慮である。もう10年以上前のことだが、毎年梅酒を造っても味が良くない。どうしてこうなのかと、知り合いの焼酎醸造場に相談してみたことがある。そこの御主人はわたしの悩みをていねいに聞いてくれたあとで、「もしかして、梅が早過ぎやせんどかな」と言った。御主人によれば、早い時期の梅はまだ中の種が充分にかたまっていない。そのため焼酎に漬け込んだときに種の中の苦みがしみ出てしまう。だから梅を買うのを遅らせてみてはどうだろうか、というのだった。言われてみれば、いつも張り切りすぎて五月下旬になるとすぐ梅を買って焼酎に漬けていた。このアドバイスを受けてからは早買いを止めたので、味の良い梅酒ができるようになった。従姉はそのようなわたしのことを知っているから、青梅を土産に持ってきてくれた。実に気が利く。
 そう言えば、2週間ほど前には庭に実った山桜桃(ユスラウメ)を焼酎に漬け込んだばかりであった。ああ、果実酒のシーズンであるなあ、と思う。ほんとに、今、梅や山桜桃やスモモ、イクリ等を果実酒にするシーズンだ。こういうのが瓶の中で色づきながら熟成していくのは、毎日気になったりして楽しい。
 それで高村光太郎の詩も思い出したわけだが、正直なところ10年寝かせた梅酒を呑んだことがない。毎年自分で梅酒を仕込んでみるものの、数年の内には呑んでしまったり、人にあげたりするからである。今回も、漬け込んで4、5ヶ月ぐらいしたら一応のものになる。その頃になって半分ぐらい従姉に持って行ってやろうと思う。そんなこんなしていれば、寝かせる分は少なくなるなあ。光太郎の詩は、冒頭部分の後に「ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、これをあがつてくださいと、おのれの死後に遺していつた人を思ふ」と続く。智惠子の愛情が籠もった梅酒、大切にしていたのだろう。この詩のように「早春の夜ふけの寒いとき」にたしなむ程度だったら、長持ちする。だがわたしなど時季に関係なく呑むから、瓶の中身はスルスルと減っていく。
 もっとも、実はわが家には四年ものと五年ものが、辛うじて一升瓶1本ずつ眠っている。今までよくぞカラにならなかったものだ。味わいのほどは、漬け込みの要領を焼酎醸造場の御主人から教わっているので自信あり。これを寝かせつづければ十年ものとなるわけだが、はたしてわたしは我慢しきれるか?

▲漬け込んだばかりの果実酒。右は5月27日に漬けた山桜桃(ユスラウメ)、もうだいぶん赤く色づいている。左は従姉から貰った梅、まだ漬け込んだばかりである。両方とも4ヶ月経てば呑めると思う

▲球磨川堤防の紫陽花(あじさい)。堤防にずらりと植えられていて、壮観だ。果実酒のシーズンにはこの花が咲くなあ、そして梅雨にも入るのだ、と、いつも思う