第112回 残暑を逃れて信濃路へ

前山 光則

 8月末、親娘3人で長野県の上高地・松本市内・軽井沢というふうに巡ってみた。信濃路は、実に涼しかった。ただ、やはり大都会からさほど離れていない観光地だなということも実感した。とにかく、人が多いのだ。
 松本駅から上高地へ行くとき、電車とバスあわせて2時間余ほど揺られたろうか。車内には山行き姿の人が目立ったが、上高地へ着くとさらにまたウヨウヨしていた。梓川の左岸沿いに河童橋の横を抜け、上流の明神橋まで約50分、すれ違う人たちに「こんにちは」としょっちゅう挨拶しながら歩いた。樹木がいきいきと繁っているのは気持ちいい。
 明神池のほとりを歩いた後、嘉門次小屋へ入ってみる。ここのご先祖・上条嘉門次は、明治時代、イギリス人登山家ウォルター・ウェストンを案内した人物として知られる。また、俳人としても活躍なさる現在の女将・上条久枝さんはわが八代市の出身である。5年前に訪れたときは多忙そうだったのでご挨拶は遠慮して引きかえした。今度も客で混雑していたが、思い切って名乗ったら嬉しいことにていねいに応対してくださった。お茶だけでなく、明治の昔からそのままだという囲炉裏部屋へ通されて岩魚の塩焼きを御馳走になった。これが囲炉裏の火で40分炙ったというもので、柔らかくて頭から食べられる。噛み心地がとても良いのだ。初代嘉門次からの山暮らしの知恵がこんなところにも生かされているのではなかろうか、と感心した。上条久枝さんは山での日々のことや八代の思い出を淡々と語られた。岩魚を食べながら、なんだか時間が止まったかのような気分だった。
 観光客の数は、軽井沢の方が多かったと思う。宿の前の草津街道を夜昼なく車がやたらと行き交う。近くに源泉掛け流しの立ち寄り湯があるから浸かりに行こうとしたら、入浴料が1200円なのだそうだ。観光客が多いと、えらく強気の商売ができるわけだ。いつも日奈久温泉のきれいな湯を200円で利用する者としては、まことにバカバカしい限りであった。むろん、宿でシャワーを使った。
 それから、軽井沢駅の南口の方に広大なショッピングプラザがあって、これが賑やかなのである。折しも雨であったが、天候が悪いからこそだろうか、次からつぎにやってきて押し合いへし合いだ。妻と娘は安くてしゃれた商品の数々を見てまわるのを楽しんでいたが、自分にはこんな場所は要らない。思い切ってバスに飛び乗り、北の方角、群馬県との県境を越えた。浅間山が天明3年に大噴火した時流れ出た溶岩が見られるところ、六里ヶ原の中の通称「鬼押し出し」である。バスを降りたとき、幸い雨も止んでいた。人影はまばらだった。浅間山が半分だけ見え、北の方には草津温泉がうっすら眺められた。いやー、わがままに飛び出してきてよかった。コノ景観ハ、ミンナ俺ノモノダゾ、と叫びたかった。

▲上高地の河童橋。最初に河童橋が架けられたのは明治の二十一年だそうだが、その後、芥川龍之介が小説「河童」(昭和2年「改造」に発表)の中でこの橋を登場させた。以来、世に知られるようになったようだ

▲嘉門次小屋の囲炉裏。じっとしていると肌寒いので、囲炉裏の火はありがたかった。すみっこに岩魚が塩焼きされているのが見える

▲鬼押し出し。荒涼たる眺めである。学生時代にここを通り、浅間山を越えて上田市まで縦走したことがある。あの頃の元気はもうないなあ

▲ヒカリゴケ。鬼押し出しの溶岩地帯に小さな穴があり、その中にヒカリゴケが生えている。実際の光るのだここは日本で最初のヒカリゴケ発見地だそうである