第116回 大冊読後感

前山 光則

 天高く馬肥ゆる秋というが、いやいや、読書の秋でもある。今、暑くもなければ寒くもない良い季節で、本がじゃんじゃん読める。
 多田茂治著『夢野久作と杉山一族』(弦書房)を熟読した。本文だけで359ページ、さらに杉山家年譜・家系図・参考文献一覧・人名索引等もついた大冊、杉山家の熱い血と一族一人ひとりの独特な生き様が物語られていて、読者を惹きつけて止まない。わたしなどは、かつて、この一族のうち杉山直樹つまりペンネーム夢野久作の「白髪小僧」や「あやかしの鼓」「ドゲラマグラ」等の小説を愛読した。ドロドロとした超現実的作風は、日本人離れしているのではなかろうか。
 この夢野久作の父親・杉山茂丸がまた、政治に深く関わった人だったわけだ。気宇壮大な話を吹きまくりつつ、伊藤博文や山県有朋、桂太郎などと関係を結んで明治政界の黒幕と言われた。この本で具体的に日清・日露戦争・満州鉄道の設立・韓国併合等々、明治・大正から昭和の初期にかけて実に様々のことに深く関与していると知った。しかも、そのように活躍しながら茂丸自身は地位も名誉も手に入れず、あくまで在野の一私人として激動の中を生きている。今の日本にこのような気骨のある人がいるだろうか。茂丸は、「我皇室は三千年の昔日よりデモクラシー守護の神様である」との皇室観を持っていたという。久作は久作で「日本の天皇は、本来百姓農夫だったのだ」「世の中で一番偉いのはあのお百姓さんたちだぞ」とわが子に語ったことがあるそうだ。両者は共通のものを有していたのである。夢野久作は、父・茂丸と相通ずるものを持ち影響も受けながら、また反発もしつつ、父親とは違う道を歩んだことになる。
 茂丸の資質を最も強く引き継いだのが久作の長男・龍丸だろう。この人は、戦後、小さな商売をしていたが、ひょんなことで旧知の男と再会して、その男からインド青年を紹介され、世話をさせられる。そうするうちにインドとの関わりを深めていき、農業指導・植林事業、さらには私財をなげうって沙漠の緑化活動に身を捧げることとなるから凄い。
 わたしが一番気になったのは久作の三男・参緑だ。平成二年に六十四歳で亡くなるが、生涯独身で定職にもつかず、詩を書き、絵も描いた。石ころを集める性癖もあって、住まいの中は本と石ころがいっぱいだったとか。父親と比べてまったく売れない詩人だったわけだが、父は父、自分は自分、恬淡として日々を過ごしたのだそうで、「詩人参緑は、貧しいながらも、神の恩寵に包まれていた」と著者は記す。でも本当はどうだったのだろう。
 それと、杉山茂丸は昭和10年に72歳で、夢野久作はその翌年に47歳で、二人とも脳出血によって突然に世を去る。ドラマチックな生き方をする人は意外とあっけなく姿を消すように、神様が仕向けるのだろうか。

▲朝の月。何日か前、日の出前の西空に月が美しかった。十七日目ぐらいの月。こういうのも秋景色だなあ、と思う

▲コスモス。球磨川の土手に、今、コスモスがいっぱい咲いている。メキシコ原産の植物だそうだが、華麗ながら繊細な感じで、日本の秋にはとても似合う