第118回 下関にて

前山 光則

 10月17日(火)・18日(水)、用事があって山口県の下関市へ行ってきた。下関は、好きな町だ。海峡に面して景色が良いし、吹きくる風になんとなく中国大陸や朝鮮半島の匂いがするような気がしてならない。
 日も暮れてから、案内役の地元在住S氏が「呑みに出る前に、銭湯に入りませんか」と言いだした。おお、銭湯か。U氏もK氏も即座に賛成した。S氏に連れられて手ぬぐいをブラブラさせながら歩くと、5分ほどで喜楽湯というところに着いた。ペンキ塗りの木造二階建て、真ん中に二つ入り口があって、右が女湯、左が男湯である。どちらにも「ゆ」と大書された暖簾(のれん)が下がって風に揺れている。番台に坐る品の良いおばあちゃんに入浴料390円を払って中に入る。下足入れや脱衣籠・体重計・傘立て・按摩機等、みな昔から使い込まれたものばかりだ。そして格子模様の高い天井。今年の春に東京で銭湯をハシゴしたが、ここまでレトロな雰囲気の保たれたところはなかった。ちょっと感動ものだった。賑やかな町なかで、よくもまあ昔の風情を壊さずに続いてきたものである。
 さて浴槽だが、衣服を脱いで中へ入っていくと真ん中にあって、これは関西式なのだそうだ。あと、気泡の出る湯槽・サウナ室・水風呂もあって、これで390円だから安いもんだと感心しながら真ん中の浴槽の湯を体にかけたら、アチチチチチ。ひどく熱いのは、これは関西式というより関東の江戸っ子風だ。ぬるめるために水をジャブジャブ出しながら、「ここには金子みすゞも来ていたんですよ」とS氏。おや、ま、あの童謡詩人。しかし、金子みすゞは確か同じ山口県でも長門市仙崎の人ではなかったかな。「いや、大人になってから下関へ来たのですよ」とS氏は詳しい。金子みすゞが下関へ引っ越してきたのは大正12年、それから昭和5年に26歳で亡くなるまで住んだわけで、下関はみすゞの終焉(しゅうえん)の地だとのことである。
 わたしたちより先に浸かっていたおじいちゃんに話しかけたら、家に風呂があるが狭くてイヤだ。だから、毎日ではないがやっぱりここへ来るのだ、という。この人は見たところ80歳を超えていそうだが、ではここはいつごろから営業しているのだろうか。湯から上がて、番台のおばあちゃんに訊いてみたら、しばらく黙っていた後、「100年は経っておりますでしょう」と低い声で答えてくれた。
 外へ出たら、連れのU氏がまだであった。しばらく待つと暖簾を分けて現れた。「今、女湯がカラになったから覗いても良いっておばあちゃんが許してくれたんで、見てきたゾ。金子みすゞの浸かった女湯だ」と上機嫌である。や、そのようなことをしていたのか。探求心旺盛な人だなあ。いや、それならば俺たちも、とK氏とわたしで勇んだが、妙齢の女の人が中へ入って行く。ああ、もう遅いのだ!

▲喜楽湯入り口。時間は午後7時過ぎくらいだったろうか。男湯の方は人が少なかった。おかげでゆっくり浸かることができた

▲下足箱。木製のもので、いかにもレトロだ。しっかりとした造りだからこそ長持ちするのだろう

▲脱衣籠。重ねられた籠をじっと見ていると、なんだか一つのオブジェがそこにあるような気がしてならなかった。とても良い色、かたちなのである

▲飲み屋街。湯から上がってサッパリして、飲み屋街へとくり出した。通りには人が少なかったが、店を覗くとどこも賑わっていた