連載コラム: 『本のある生活』 2012.11.09

第121回 船頭さん引退す

前山 光則

 11月1日の朝、新聞を開いたら「球磨川渡し舟、歴史に幕」との大きな見出しで、熊本県球磨村の渡し舟が10月31日に運航をやめたと報じていて、驚いた。記事によれば、船頭の求广川八郎(くまがわ・はちろう)さんは約40年間舟を漕いできたが、老齢のため足や腕・肩が痛むようになり、「安全運航できなければ、事故の恐れもある」との気持ちから引退に踏み切ったのだという。後継者がいないため、渡し舟はなくなる。31日は乗船場で舟の納め式が行われ、村長はじめ住民約60人が参列。熊本県のPRキャラクターくまモンも来て、求广川さんはそのくまモンや地元の子どもたちを舟に乗せて川を2往復し、最後の運航としたとのことである。
 球磨村の渡し舟についてはこの連載コラムの第26回で触れたことがある。渡し場は、国道219号線を八代から人吉方面へ川沿いに走って30キロ程の地点になるだろうか。右岸側になるのだが、道路脇に小さな階段がつけられ、そこを伝うと崖の中腹に渡し場の番小屋、そのまた下の水際が船着き場である。小屋に求广川さんがいない時は背後の山道を登って自宅まで呼びに行く。川の向こう岸にはJR瀬戸石駅があるが、そっちの方に舟を着けておられる時もあって、その場合は「お願いしまーす!」と大声で叫べばすぐに気づいて下さるのだった。乗せてもらうと、櫓を漕ぐ音がギッチラギッチラする。音に連れて舟も心持ち揺れて、とてもここち良かった。
 八代在住の写真家・麦島勝さんに聞いてみたら、求广川さんの引退の話は事前にキャッチしていて渡し舟納め式にはせ参じたという。麦島さんは求广川さんと歳が同じで、昔からの友人なのだ。「……寒い時季にゃあ、渡し場に寄って焚火に手を炙らせてもらいよったとですが」とおっしゃる。麦島さんは現在でも50㏄バイクにまたがってあちこち写真を撮ってまわる元気者だが、冬の寒い日などさすがに運転していて体が冷え切ってしまうし、手が痺れる。そんなとき、求广川さんのところで焚火にあたると生き返るのだそうだ。「焚火が、要るとばい。通学の子たちは、朝は早やかし、帰りは部活などで遅いしな」、対岸の瀬戸石駅を利用して通学する高校生のために、求广川さんは朝も夕暮時も火を焚いて待機していたという。高校生も、焚火を見ていつもホッとしていたのではなかろうか。
 11月6日、用あって人吉まで行ったから、渡し場に立ち寄ってみた。番小屋も取り払われ、舟の姿も見えず、ガランとしていた。求广川さんは御自宅で寛いでいるのだったろうか。7、8キロ下流では9月から荒瀬ダムの解体工事が始まっている。これは川が本来の自然な姿を取り戻すための一歩となるので、嬉しいことだ。一方で、求广川さんが引退――球磨川の長い歴史の中の一コマに過ぎぬことかもしれないが、さびしい、さびしい。九州内の川でどこか渡し場が残っていたら、行ってみたいものだ。誰か教えてくだされば幸いである。

▲櫓を漕ぐ求广川さん。右岸から左岸へ渡るのだが、流れに対して斜め上に向かうかたちで漕いでゆく。そうするとちょうど良いあんばいのところへ着岸できるのである(2009年6月20日撮影)

▲舟を出す直前。対岸へ渡る人を乗せているところである。舟が揺れるので、乗客は足許に注意しながら乗り込む(2009年6月20日撮影)

▲渡し場。左岸側から右岸の方を撮った風景。画面左側、橋のたもとの下あたりに小屋がある。これは求广川さんの番小屋である。そこから下へおりた汀(みぎわ)が船着き場(2009年6月20日撮影)

▲対岸に瀬戸石駅。右岸の船着き場跡の上から見た対岸。JR瀬戸石駅は無人駅だが、付近の住民の足である。渡し船を利用していた人たちは不便になるだろう(2012年11月6日撮影)
こんなのもアリマス

Leave a Reply

(必須)

(必須)


Copyright © 2010 GenShobo. All Rights Reserved.