第133回 花餅のオブジェ

前山 光則

 2月9日、風も吹かず、晴天。友人たち5名とともにまた五ヶ瀬町へ行ってきた。
 五ヶ瀬では今年の10月に山頭火全国フォーラムが開催されることになっていて、9日はそのプレイベントの一環として町主催で中村敦夫・佐々木梅治による朗読劇「鴉啼いてわたしも一人——山頭火物語」の公演が催された。入場無料と知って、押しかけたのだった。公演前に楽屋を訪ねたら、中村さんも佐々木さんも満面の笑みで口を揃えて、「また来てくれたの?」とおっしゃる。「わたしたちゃ追っかけですから」、友人S氏が言う。そう、昨年9月の日奈久、12月の山口県防府、これで3回目だ。というわけで、追っかけ6名は五ヶ瀬町民の中に混じって観劇した。公演は力強さとなめらかさとがうまくかみ合って、今までで一番の出来だと思う。  
 公演が終了し、会場の町民センターを出たのが3時過ぎだったか。餅の花が咲くのを見物した。道端で、町の人たちが木の枝に切り餅を飾りつけているのだった。会場に入る時も目にしたが、その時はまだゆっくり見る時間がなかった。でも、公演後あらためて眺めると、1、2センチ角に切られた赤・白・黄・緑の餅が程良く木の枝に刺してあり、まるで餅の花、実に素朴なオブジェだ。聞けば、これは花餅といって旧正月のための飾りだそうだ。使ってある木の枝は「ミズシです」とのこと。昔は柳を使ったが、最近少ないため、この頃はもっぱらミズシが用いられるという。花瓶に活けておけばやがては葉が出るし、花も咲くそうである。そんな話しを伺っていたら若い娘さんが近づいてきて、「おみやげに持って帰りませんか」と小ぶりのものを差し出してくれた。なんという幸せ!連れの友人たちは羨望の眼差しをわたしに向けた。
 家に帰り着いてから新聞の潮暦欄で確かめてみると、2月9日は旧暦の12月30日すなわち大晦日(大三十日)だった。わたしたちは旧正月直前の五ヶ瀬町に行ったことになる。ついでに昭和56年刊行の『五ヶ瀬町史』も開いてみたが、正月14日・15日つまり小正月のところに「花もち(切りもち)を川柳の枝にさして柱や俵にさしたりして飾った。これは二十日正月におろして食べた」とあった。とすれば、かつて花餅は小正月に作って飾るのが慣わしだったが、時代が移るにつれて習慣が変わってきたのだろうか。それと「ミズシ」は、椎葉村の椎葉クニ子さんの『おばあさんの植物図鑑』によればみずき科の木だそうだ。「この木は枯れたら焚き木にいいけど、生は全然燃えないからね、水ばかりで。だからミズシと言うとじゃろ」と椎葉クニ子さんは本の中で語っている。花は春に「白くかたまってつく」ということである。
 今回の五ヶ瀬町訪問は、中村敦夫・佐々木梅治ご両人の朗読劇もとても良かったけど、最大の収穫はこのかわいい花餅であった。

▲道が作業場。花餅を、側溝の蓋の穴に差し込んである。もうこれは完成品ではなかろうか。だから、ここは作業場というか、展示場というか、とにかく空気が華やいでいる

▲花餅の飾りつけ。一つ一つ丁寧に枝に刺して、飾りつけ作業が行われる。手間がかかるのだろうが、皆さん愉しそうだ。朗読劇は観ずにいそしんでいたのではなかろうか

▲わが家の花餅。娘さんから貰った花餅は大切に持ち帰った。家の者が花瓶に活けて、居間に飾ってくれた。葉がつき、花が咲くのが待ち遠しいなあ