連載コラム: 『本のある生活』 2013.04.30

第143回 三浦半島へ行った日

前山 光則

 4月17日には、エッセイストの乳井昌史氏と一緒に神奈川県の三浦半島へ出かけた。
 品川駅から京急線で1時間余かけて京急長沢駅に着き、電車を降りると、あたりは新緑がみずみずしい。駅から徒歩5、6分で北下浦の長沢海岸へ出る。曇り気味だったが、目の前に大海原が広がっていた。海辺の高台に平屋の立派な建物があって、そこが長岡半太郎記念館であり若山牧水資料館にもなっている。係の女の人の説明によれば、物理学者の長岡半太郎が別荘に使っていた土地なのだそうだ。さらに、ここ北下浦は大正4年3月から1年10ヶ月ほどの間、妻・喜志子の病気療養のために夫婦で仮住まいした地でもある。地元に熱心な牧水ファンが居て、自分の持っている資料類を全部この記念館に寄付してくれたため、「若山牧水資料館」としての機能もあわせ持つようになったのだという。
 砂浜の方に歌碑が2基ある。1つは表に牧水の有名な歌「しら鳥はかなしからずや空の青海のあをにもそまずたゞよふ」、裏に喜志子の「うちけぶり鋸山の浮び来と今日のみちしほふくらみ寄する」が刻まれた夫婦歌碑だ。もう1つの歌碑には、牧水の「海越えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立ちやまず」。歌に詠まれているように、天気の良い日だと房総半島が見え、半島のシンボルともいうべき鋸山の姿を楽しめるらしい。わたしは、ここには若山牧水の故郷のすぐ近く美々津の浜、つまり耳川河口付近から海を見渡す時の爽快感とほぼ同じものがあるなあ、と思った。当時ここらは東京から船で5時間かけてやっと辿り着く辺鄙な地だったそうだから、とても不便だったろうし、牧水は病妻を抱えて生活も苦しかったようだ。しかし、砂浜に出て海を眺める時は良い気分に浸ったはずである。
 歩き回ってみて、北下浦の人たちの親切さに頭が下がった。牧水の住んでいた家の場所を確認したくて北下浦行政センターに入ってみたら、4人も5人も集まってきて話を聞いてくれる。やがて1人の男性職員が「その先まで用があって、ついでだから」と案内までしてくれた。牧水がよく立ち寄った酒屋さんが現在も営業しているというので行ってみたら、何も買わない者が来て迷惑だったろうに長々と土地の話や「牧水の奥さんは結核だったから、うちのご先祖は感染を怖れてあまり親切にしなかったらしい」等ということも詳しく喋ってくれた。「あまり親切にしなかった」のではなく、結構土地の人たちは牧水夫妻の日常を見守ってくれていたのではなかったろうか。そんな気がしてならなかった。
 今回の北下浦訪問、土地の人たちにはもっぱら乳井氏が語りかけて質問し、色々のことを聞き出してくださった。氏はわたしよりはるかに熱心だったわけで、さすが『南へと、あくがれる《名作とゆく山河》』(弦書房)の著者だなあ、と感心したことであった。

▲北下浦の浜から見た海。眺めているだけで気持ちいい。ヨットに乗って遊んでいる若者がいたが、天下を取ったような爽快さを味わっているのではなかろうか

▲防寒着のお地蔵様。北下浦から隣の野比(のび)駅まで歩いている途中、このお地蔵様を見かけた。土地の人が着せてくれているわけだ。人情味ある土地柄だなあ

▲お酒屋さん。牧水がよく立ち寄ったという酒屋である。建物は新しくて当時の面影はないが、店の名は昔のままだという。とても気さくに応対してくれて、こうした気質も当時とあまり変わらないのではないだろうかと思った
こんなのもアリマス

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