第146回 明治の時間が流れる

前山 光則

 近くに住む友人から、「人吉の焼酎屋さんが明治時代の球磨焼酎を再現しよるらしいが、今の焼酎とどう違うと?」と聞かれた。新聞記事で紹介してあったのを見たらしい。
 単純に言えば、現在の球磨焼酎は白米を原料とし、白麹を用いている。一方、明治時代には原料には玄米が使われ、麹菌は清酒造りと同じ黄麹だったのである。さらに今は蒸留までおおよそ2週間余りで済むが、当時の「どんぶり仕込み」と言われる方法だと温暖期で25日ほど、厳寒期なら40日ぐらいはかかっていた。蒸留機も、「兜釜」と呼ばれるものである。もろみの入った釜に直かに火を当てて蒸留する。肝心の味わいの程だが、明治41年、人吉へ旅して来た作家・田山花袋は宿で球磨焼酎を呑みすぎて正体不明になってしまったと著書『日本一周』の中で記していて、そう、まことにうまかったわけである。
 実は、東京から帰って間もない4月25日、人吉市の大和一酒造元に見学に行った。社長の下田文仁氏が、その日の午前9時から明治時代のやり方で焼酎蒸留をしてみせてくれたのである。作業は蒸留機の組み立てから始まった。竈(かまど)に釜が据えられ、もろみの液体もそれを絞った固体も共に蒸留する手はずが整えられる。さらに甑(こしき)が被せられ、甑の上には兜を逆に置いたようなかたちの冷却釜が被せられる。甑の穴に竹筒が通され、これが中に結露した焼酎原液を外へ出してくれる。竹筒の伸びた先には甕(かめ)が据えられて、原液はこれに溜まっていく。
 さてその竈に当てる火であるが、バーナーを補助的に使うものの、主として燃料は薪(たきぎ)である。この薪の燃え方によって蒸留の按配も違ってくるので、出来上がる焼酎の味わいも1回ごとに趣きが異(こと)なるというから、ほんとに大変である。だが下田氏は、『球磨焼酎《本格焼酎の源流から》』(弦書房)を編纂する際に発掘した明治時代の資料を読み解くうち、どうしても当時の醸造法を自分でやってみたくなったそうである。蔵人としての探求心の旺盛さが、ついにもろみの造り方から蒸留機などまで忠実に再現するという徹底ぶりになっていったわけである。
 芳香がただよう中、薪の燃えるのを見ながら、焼酎の蒸留されるのを見守った。30分経った頃だったろうか、竹筒の先からホヤホヤと湯気が出始め、しばらくすると原液がタラタラッと落ちてきた。ハナタレ(初垂れ)、最初の一滴はこう呼ばれる。感動の一瞬だ。それから2時間余り蒸留が続いた。焼酎の匂いのかぐわしさ、原液の輝き、薪の火の暖かさ。下田氏は焼酎を造る当事者だから気が抜けないわけだが、わたしはただの見学者。見守っていて、ここには確かに「明治の時間」が流れているよなあ、と悦に入るのだった。
 こうしたことを友人に語ってやったら、羨ましがられた。一度連れて行ってやりたい。

▲蒸留機組み立て中。下の釜にもろみの液体、上にもろみを絞ってできた固体部分が置かれることになる。これから甑(こしき)などが取りつけられていく

▲蒸留開始直前。機具の据え付け等の準備がすべて終わり、火がつけられた。いよいよこれから蒸留が始まる

▲ハナタレ!。焼酎原液が、ついに出て来たのだ。「洟垂れ」ではない。最初の一滴を意味するのだから、「初垂れ」である。度数は相当に高いとのことだ

▲蒸留真っ最中。今、ゆっくりと原液が垂れてきている。ビニール袋が被せてあるが、これは焼酎原液の湯気の蒸散を防ぐためである。蒸散したら、せっかくのうまい焼酎が「天使の取り分」と化してしまうからなあ