第155回 肝っ玉おっ母さん

前山 光則

 水上分校ではユニークな保護者がいた。人吉市の近くから通学していたN君のお母さんである。小さな商店を営み、さっぱりとした明るい性格でまわりから親しまれていた。
 N君は家から最寄りの湯前(ゆのまえ)線(現在のくまがわ鉄道)の駅まで20分かけて自転車を漕ぐ。そこから終点の湯前駅まで各駅停車、約30分はかかろう。湯前駅前からはバスで10分ほどかけてようやく水上分校に着くという、3年間そんな大変な通学を全うした子である。勉強は好きではないが、いつも程々にはできていた。おとなしいにもかかわらず内気ではなく、友だちづきあいも多くて結構やんちゃな遊びもするのだった。
 ところが、ある時、仲間と一緒に隠れて煙草を吸い、それが見つかってしまった。となると、校則で1週間ほどは家庭謹慎である。謹慎中は教師たちが当番を決めて家庭訪問をするのだが、同僚の一人が訪ねた折り、N君のお母さんは息子がふてくされているので「わたしは、あんたを、こぎゃん恥ずかしか子に育てた覚えはなか」と気合いのこもった声でひどく叱りつけたそうだ。それのみか、「そぎゃん煙草の欲しかなら、母さんの目の前で吸いなさい」、こう言った後、煙草を取り出して封を切り、息子の口に押し込んで火をつけた。息子が拒もうとすると叱りつけ、さらに一本、続いてまた一本……、息子の口にはたちまち5本か6本のハイライトが突き刺さった状態になった。立ち会った同僚が止めようにも手が出せない迫力。N君は泣きそうになりながら、必死に母親の折檻に耐えた。その煙草お仕置き事件は彼が2年生の初夏の頃だったが、以後、決して煙草には手を出さなかった。よほどに身にこたえたのである。
 だが、その年の秋になって、N君たちのグループがまた事件を起こした。今度は喫煙なんかでなく、放課後に学校の近くの柿園に入り込み、みんなで柿をちぎって食っているところを持主に見つけられてしまったのである。持主から学校へ連絡が入り、保護者も同席した上で学校長からのお説教を受けることとなった。その時もN君のお母さんは「わたしの家はお菓子も飴も売っとる。何不自由もなかとに、なんで他人さまの柿を盗むか!」、こっぴどく息子を怒鳴りちらした。「あたしたちの育て方が甘かった」とも嘆きつつ帰って行ったのである。それで一件落着かと見えたが、実は違った。N君はクラスに戻り、授業を受けて、さて昼休みとなった。楽しみの弁当箱を開いてみて、彼は「アッ!」と声を上げた。弁当箱の中には、きれいに皮を剥き、食べやすいように切り分けられた柿の実だけがギッシリ詰まっていたのだった。N君がガックリとうなだれたことは言うまでもない。
水上分校の教師たちは、皆、このN君のお母さんのことを秘かに「肝っ玉おっ母さん」と呼び、畏敬の念を抱いたものであった。

▲ぶらり苦瓜。今、苦瓜が次々に生っている。活き活きした苦みが魅力で、毎日のように食べている。害虫に強いから素人でもたやすく栽培できるので、水上分校にいる頃も職員住宅の庭に植えていたものである