連載コラム: 『本のある生活』 2013.09.09

第160回 コロッケ考

前山 光則

 ある同郷の友人から、「昔、五月みどりがコロッケの唄をうたったよな?」と訊ねられた。いや、違う。「ワイフ貰ってうれしかったが/いつも出て来るおかずがコロッケ、コロッケ/今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中、コロッケー」、これは大正時代に浅草オペラでうたわれて流行った歌のはずだ。そこで、調べてみたら、確かに昭和37年に古関祐而編曲による同名のものを五月みどりがうたっている。ただ、元歌はやはり大正時代の「コロッケの唄」だと判った。友人は「それじゃ、コロッケってだいぶん前からあったんだ」と驚きの声を上げた。
 彼は少年の頃に五月みどりの歌を聴いて、コロッケがどんな食べ物なのか分からなかった。分からぬまま唄がおもしろくていつも聴いていた、という。まして大正時代にすでに「今日もコロッケ、明日もコロッケ」であったとは、実に想定外のことだったらしい。
 そこで思い出したのが、水俣にいた詩人・淵上毛錢のことである。毛錢は、亡くなる前年の昭和24年の10月26日に町の真ん中に「とんちん亭」と称するお総菜洋食店を開業している。重病人の毛錢が働けるわけはないので、何からなにまで親しい友が尽力してくれた上での開店だった。さてそのメニューだが、カツレツ(1個30円)・コロッケ(1個10円)・魚フライ(1個10円)・野菜サラダ(100匁45円)、この4品である。キャッチフレーズがふるっており、宣伝ビラに「お一人前十円で出来る洋食/水俣市に初めて出現致しました」とある。10円というなら、コロッケがその値段であるから、それだけですてきな「洋食」が愉しめる、というわけだろうか。毛錢は、東京にいる恩師・小野八重三郎に手紙を書いて、「コロッケを知らない人が多い町で始めたのですから一種の文化運動だとは笑へないほんとの感想です」と報告している。水俣では、その頃まだコロッケは珍しいものだったことがうかがえる。
 水俣もわたしたちのふるさと人吉も、たいして違わなかったと思う。だから、友人に大正時代の「コロッケの唄」のことや毛錢の店のことを話してやりながら、彼の驚きには大いに共感したのであった。とにかく昭和30年代、熊本県南の町でコロッケが売ってあったか、あるいは学校での昼食時に級友たちの弁当箱にコロッケが入っていたか、彼もわたしもはっきりした記憶がない。わが家の食卓にコロッケが出たことはなく、弁当箱に入れてもらった覚えもない。高校を卒業するまで、コロッケは馴染みの薄い食べ物だった。
 物の本によると、コロッケは都会ではすでに明治時代から親しまれていたそうだ。だが、田舎まで普及するにはなぜか時間を要したわけで、どうしてなんだろう。ああいう庶民的食品はすぐに田舎にも出回りそうなもんだが……二人とも首をかしげるばかりであった。

▲とんちん亭の宣伝ビラ。二色刷のもので、開店前に相当数配布したのであろう。サービス券までついている(水俣市立図書館蔵)
こんなのもアリマス

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