連載コラム: 『本のある生活』 2013.10.11

第164回 補足すべきこと

前山 光則

 数日前の夜、東京に住む同年代の友人S氏から電話がかかってきた。彼は新聞の広告欄で麦島勝氏の写真集『昭和の貌(かお)』のことを知り、さっそく購入してくれたという。「そしたら、本の中にあんたのエッセイも載ってるじゃないか」、だから懐かしくなって電話したらしい。S氏は徳島県生まれだから『昭和の貌(かお)』に写されている熊本県の生活や風景には馴染みが薄いはずだが、「いやー、昭和20年代30年代の生活風景がまざまざと甦るねえ」、大いに共感したふうだ。わたしの書いたエッセイの中で井沢八郎の「ああ上野駅」を「西南日本のイメージがまったく抜け落ちている」と評した部分について、S氏もまた「そうだよな、あの歌は東北から東京へ集団就職して来た中卒者の気持ちしか表現してないよ。集団就職って、全国各地から東京・大阪・名古屋あたりの大都会へ行ったのだからな」と相づちを打ってくれた。
 受話器を置いてしばらくしてから、補足したい気持ちが湧いた。あの「ああ上野駅」は「どこかに故郷の香りをのせて/入る列車のなつかしさ/上野は俺らの心の駅だ/くじけちゃならない人生が/あの日ここから始まった」と1番の歌詞をうたった後、「就職列車にゆられて着いた/遠いあの夜を思い出す/上野は俺らの心の駅だ/配達帰りの自転車を/とめて聞いてる国なまり」、この2番の歌詞に入る前に母親へ向けての息子の呼びかけのセリフが入るのだが、そのとき流れる間奏がわがふるさと人吉の犬童球溪作詞による「故郷の廃家」である。こうなれば、「ああ上野駅」が西南日本のイメージをまったく無視してしまっているなどとは論断できなくなるのかなあ、と、気になったのである。
 もっとも、ヘイズの原曲に球溪が付した詞は「幾年ふるさと来てみれば/咲く花鳴く鳥そよぐ風/門辺の小川のささやきも/なれにし昔に変わらねど/荒れたる我が家に/住む人絶えてなく」と望郷の念を熱くうたっていても、さてその故郷がどこであるかは歌詞の中に出てこない。その代わりにこれはどこの土地で育っても共感してうたえるわけで、そのためか今まで全国的に愛唱されてきた。だから、「ああ上野駅」を作詞・作曲した人もその一般性に惹かれて間奏に用いたのであったろう。「故郷の廃家」の裏に九州の人吉盆地が存在するなどとは、おそらくイメージしなかったはずだ。そして、犬童球溪は「故郷の廃家」をいつ、どこで書いたかといえば、この連載コラム78回「恋しやふるさと」で述べたように、28歳の頃、新潟市で高等女学校の音楽教師をしている時だった。つまり、遠い寒い北国でこの歌は成立している。
 『昭和の貌(かお)』に付したエッセイでは、こうした微妙な点を抜かしたまま「ああ上野駅」を論じていたのである。S氏とまた電話で語り合ってみたいと思う。

▲犬童球溪歌碑。熊本県人吉市の人吉城址にあり、昭和27年に建立されている。碑には「故郷の廃家」1番の歌詞が刻まれている
こんなのもアリマス

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