第166回 津軽三味線をはしごした

前山 光則

 今度の旅は10月15日から三泊四日で女房と一緒に東北へも足を伸ばしたが、寒くて困った。最高気温が11、2度にしかならず、しかもあちらの人たちはこれしきの冷え込みには動じないので、秋田から「リゾートしらかみ」という列車に乗って五能線経由で弘前(ひろさき)まで向かう間、暖房なしである。酒を呷って内側から暖まる他なかった。
 能代駅でホームにバスケットゴールが設けてあって、5分間の停車時にどうぞフリースローに挑戦してください、とのこと。女房がやってみたら見事に成功し、記念品をいただいた。そして絶景ポイントではわざとスピードを落として眺めを愉しめるように計らってくれるし、この道中なかなか良いねえと喜んだ。やがて、若い男女が津軽三味線の演奏をし始めた。やや滑らかさの足りぬ弾き方ではあったものの、それだけにまたひたむきであり、聴きながら窓外の白神山脈の草木が台風の影響で雨風に打たれる様や日本海の白波が海辺の岩にぶち当たる風景やらに目をやっていると、じんじんと旅情が湧くのだった。
 津軽三味線の演奏は、弘前市の「ねぷた村」の中でも聴けた。はじめ若い女性、ついで年配の男の人が出てきて、「津軽あいや節」「津軽じょんがら節」等の民謡を弾く。おどろおどろしいタッチのねぷた絵を観た上で演奏に耳を傾けるのだから、リゾートしらかみの時とまた違った濃厚な感興に浸れた。こういうのを聴きながら飲食できるところはないか、と年配の男性奏者に訊ねると、即座に弘前市内の「あいや」という居酒屋を教えてくれた。そこの主人・渋谷和生氏は非常に優れた弾き手だ、と言うのである。だから、夜、出かけてみたが、あいにく渋谷氏は不在。しかし、ステージに現れる若い奏者たちは気合いのこもった弾き方で、好感が持てた。地酒を酌みながら、ホッケの焼いたのやマグロの中落ち等をつまみながら、9時過ぎまで聴きほれた。 
 後になって、三味線の音色は堪能できたがはしゃげたわけではなかったなあ、と思った。一つは、唄声を聴かなかったからだったろう。ひたすら三味線の音にのみ神経を注ぐこととなるので、弾き手の強い自己主張に身を委ねなくてはならない。それと、もう一つ、「津軽あいや節」などはわが熊本県天草の「牛深ハイヤ節」が、昔、北前船に乗って流れ流れて伝播したものだという。しかし、「牛深ハイヤ節」が歌詞も曲調も底抜けに明るくて開放的な騒ぎ唄であるのに対して、「津軽あいや節」は逆である。聴くうちに、頭の中に北風が吹きまくり、雪が降りしきるようになる。風の音や雪の舞い方に神経が集中してゆく、という感じである。二つの民謡が兄弟関係にあるなどとは、正直、ピンとこなかった。
 ただ、それはそれとして津軽三味線の撥(ばち)さばきや音色が胸の内にまだ鮮烈だ。現地でライブが聴けてよかった、と心から思う。

▲車窓からの眺め。ちょうど太平洋側を台風が通過中で、その影響か海はだいぶん時化ていた。しかし、真冬になればしょっちゅうこのような状態なのではなかろうか

▲「ねぷた村」での津軽三味線ライブ。右側の女性奏者は、最近も三味線大会でチャンピオンに輝いたのだそうだ

▲「あいや」でのライブ。若手が頑張って演奏した。粗削りかも知れないが、弾けるようなエネルギーが伝わってきた

▲岩木山の初冠雪。弘前城址の天守閣からの眺めである。半袖シャツの上に薄いジャンパーを羽織っただけだったので、実に寒かった。土地の人に聞いたら、今季はじめて岩木山の頂上部分が白くなったのだそうだ