第172回 五木村へ行く

前山 光則

 昨年の12月10日、良い天気であった。俳優の佐々木梅治さん夫妻のお伴をして、仲間たち6人、車2台連ねて五木村へ出かけた。
 八代市を出発して人吉経由で球磨川の最大の支流川辺川の谷へ入り、しばらく行くと相良村と五木村との村境いあたりにダム堰堤予定地だった箇所が現れる。川を挟んで雑木に包まれた山がそそりたち、深い谷を成す。風景の美しさに溜息が出た。それから程なく村の中心部に着いた。川のずっと上の方の代替地に新しい集落が形成されており、五木村役場もそこにある。仲間のY氏の知り合いI氏が役場で待ってくれていて、尾方茂という人の住む家へと案内してくれた。尾方家は代替地からだいぶん下にあり、というよりもそこらこそがかつては村の中で最も人家の密集するいわゆる「五木銀座」だったのである。現在では尾方家以外に家屋は見当たらない。道路を隔てて斜め前に大きな銀杏の木が聳え、黄葉した葉を散らしつつあった。かつてこの木の下では子どもたちがよく遊んでいた。
 家には尾方夫妻が待ってくださっていた。尾方茂氏は、当年85歳だそうだ。人なつこい柔和な眼差しで「寒かけん、炬燵に、ほ、あたってくだっせ」と勧めてくださる。語り口も訥々としていて、ダム建設に伴う立ち退きについに応じず、この家に踏みとどまった一徹者とは思えない。若い頃から農作業の合間にラジオを組み立てるのが趣味だったそうだ。「ははあ、ゲルマニウムラジオでしょう」と佐々木さんが聞くと、「いやあ、真空管を使うとですたい」とのこと。本格的なのだ。知り合いにも作ってやっていたという。またレコード鑑賞も好きで、昔の流行歌や童謡等のLP盤をたくさん見せてくださった。山と山とに囲まれた谷間で、尾方夫妻はしっかりと愉しみを持って生きてきたのだったろう。
 五木村は昭和38年から3年連続で大水害に見舞われて、ダム建設計画が持ち上がった。村を挙げての反対運動、行政の説得工作、反対しつつも受け容れての立ち退き、だがやがて下流域中心に起こった新たな反対運動、ダム建設中止。この約50年ほど、村に嵐が吹き荒れたのである。佐々木梅治さんは、近々、「ダム」と題された劇の中で、尾方茂氏がモデルとされる老人の役を演じることになっている。だから、熊本・八代で「父と暮らせば」公演を済ませた後、五木村をぜひ見てみたい、とやって来られたのである。佐々木さんはきっと老人役を熱演してくださると思う。
 尾方家で話を聞いての帰りがけに立ち寄った観光案内所で、村の女の人が正調五木の子守唄をうたってくれた。みんなと一緒に聴きながら、尾方さんのような穏やかな人物がぽつんと元の村に残らねばならなかった、その嵐の複雑さに気が遠くなる思いであった。
 ――というわけで年が暮れて、今、お正月である。今年もどうぞご愛読願います!

▲川辺川ダム堰堤建設予定地。谷が深くて山が迫っているから、ダム堰堤を造るには最適の場所なのであろう。かつて道路はこの谷底を縫っていて、たいへんな悪路だった

▲かつての頭地集落中心部。道路の右も左も家々が並び、結構賑わっていたのである。尾方さんの家は右手の手前にあって、画面には写っていない

▲尾方茂さん宅。昔のままのたたずまいである。この画面だけ見れば、かつての五木村の雰囲気が味わえるわけである。しかし、尾方家のまわりはすっかり家々がなくなり、荒れ地と化している