連載コラム: 『本のある生活』 2014.03.24

第180回 天草下島にて

前山 光則

 3月8日、晴天。写真家の麦島勝さんのお伴をして天草下島まで車で出かけた。
 土曜日で行楽日和なのに道が混んでおらず、八代市から約2時間で天草市に入ることができた。まず訪れたのが天草キリシタン館で、ここで「麦島勝撮影写真展―天草島のくらしのうつりかわり」が催されていたのである。せっかくだからじっくり見入りたかったが、肝心の麦島さん自身は早く次の目的地へと急ぎたいふうである。同館を40分ほどでおいとまして、近くの明徳寺へ車で移動した。「ほら、ご覧なさい」と麦島さんが嬉しそうに指差す。「ほお……」、見上げてから、間の抜けた声を洩らしてしまった。寺へ登る石階段の上がり口、右手に背の高い地蔵様が両の手を合わせて立っているが、彫りが深くて西洋風の顔つきである。麦島さんによれば、ここは天草島原の乱の後、鈴木重成によって創建された曹洞宗の寺だそうである。鈴木重成といえば、乱後わが身を犠牲にしてまで民衆を救った名代官だ。キリシタンを改宗させるために建てられたのだそうだが、その寺の地蔵様が異人風であるとはなんとも面白い。
 午後は、天草と愛知瀬戸焼との縁りを示す石碑を見たり、『昭和の貌《「あの頃」を撮る》』に登場する小嶋勝市さん宅を訪ねたりした後、崎津港へ行った。麦島さんは、港のすぐ裏手にある小山へ登りたかったわけである。漁師町特有の「とうや」と呼ばれる狭い路地を抜けると、小山の斜面は墓地である。細い道がついていて、そこを這うようにしてよじ登る。勾配が急で、きつい。麦島さんはつらそうで、ハアハア言いはじめた。もっとも、二、三歩這い上がるたびにふり向けば眺めが良くなり、鏡のように静かな羊角湾が眼下に広がる。そして、目の下に崎津天主堂が見えるところまで登った。さわやかな達成感だ。
 麦島さんは「お墓の様子をよく見らにゃあ」とおっしゃる。普通の墓もあれば、クルスをかたどった墓碑もある。麦島さんは、かつて天主堂を見下ろせる場所にクルス墓があって、その墓と天主堂とが同時に収まる具合に写真を撮ったことがあるという。だが、それとおぼしき位置に立ってみても同じ構図にはならない。もっとも、普通の造りの新しい墓があり、墓碑銘にキリスト教の洗礼名が記されている。ははあ、かつてクルス墓だったのが現在ではこのように様変わりしつつあるのだろうか、と、そう考えてみたくなった。ともあれ天草特有の歴史があるなあ、と痛感する。麦島さんはそのことを教えたかったのだ。
 小山を下りてから郷土文化伝承館「南風(はえ)屋」へお邪魔した。一年ぶりである。おじちゃんもおばちゃんも元気で、えらく歓待してくださった。とれ立ての生牡蠣を食わせてくれるし、飯も出してくれた。牡蠣の入った吸い物つきである。天草は実に人情豊かなところだ。あらためて深く感じ入った。

▲異人地蔵。なかなかの美男子である。ここの石段を上ると山門で、その奥に本堂がある

▲山の斜面の墓地。山道の左手に展開する景色。よくよく見ると、普通のお墓とクルス墓が混在している。画面には見えないが、右手の方の斜面も墓地である

▲崎津天主堂と羊角湾。山道が右へ折れて、やがて道が行き止まりとなる。これはそこからの景色

▲小山の下で出会った猫。ここは普応軒という曹洞宗の寺への入り口にあたっており、寺の裏山が墓地である。カメラを向けたがまったく逃げず、「あんた、誰?」とでも言いたげな顔である
こんなのもアリマス

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