連載コラム: 『本のある生活』 2014.03.31

第181回 「ふるさと」 としての北国

前山 光則

 奈良市在住の根本啓子さんの個人誌『水燿通信』を、毎号興味深く愛読している。しかも、最近では第320号で『昭和の貌《「あの頃」を撮る》』の麦島勝さんの写真の記録性について詳しく論じられていて嬉しかったのだが、3月11日発行の第324号ではさらにあの本の第6章「高度経済成長の夢」に付したわたしのエッセイ「レールの夢、そしてふるさと像」を話題にしてくださっている。
 あのエッセイで、わたしは井沢八郎のうたった「ああ上野駅」を「これは北国の人たちのための歌であって、西南日本のイメージがまったく抜け落ちている」と批評した。高度経済成長期に走った集団就職列車は、全国で見られた。わたしなども同級生が就職先へ旅立った時、みんなと一緒に人吉駅で見送りをした。だが名曲「ああ上野駅」で登場するのは北の方からの就職者であって、だから「西南日本のイメージがまったく抜け落ちている」のであった。根本啓子さんはこれを読んで「虚を突かれたような気持ち」になったそうだ。集団就職という形態は「東北地方の専売特許」であり、「明るい太陽の輝く南国の九州などからは集団で列車に乗って都市部に就職するなんて想像もしていなかった」のだという。ちなみに根本さんのふるさとは東北の山形だそうである。ははあ、山形で育った人はこういうふうな意識であったのか、と、わたしもまた虚を突かれた気持ちであった。
 だが、根本さんの考察はこれで終わりはしない。わたしがエッセイの中で話題にした「ああ上野駅」「リンゴ村から」「早く帰ってコ」、これらはみな北の国を「ふるさと」としてうたいあげているが、どうも自分の住んでいる東北の田舎とは〈田舎度〉が違う、と違和感を抱いていたという。根本さんは、あの3曲のそれぞれの作詞家の出身地が埼玉県・兵庫県・茨城県だという点に注目する。そして、「歌謡曲で歌われた〈いなか〉というのは、いわば日本人の原風景の中としての故郷」である、と述べる。作詞家は生々しい北の国を体で知っているわけでなく、だけれども想像力を駆使して典型としての〈北国〉像を作り上げている。しかも都会でつらくなったり疲れ果てたりした時に慰めてくれる〈いなか〉は、寒い、貧しいところでなければならぬわけで、「それはつまり東北以外にはありえないのだ」と根本さんは言う。色んな歌が北国を「ふるさと」として追慕していることへの、これは深く踏みこんだ意見ではなかろうか。
 ところが、3年前の大震災で東北は大変な打撃を受けた。いまだに立ち直れず、都市部に住む人間の傷ついた心を抱きとめる余裕などなく、逆に慰め力づけられている状態だ。「それでは、悲しいとき、つらくなった時、私たちはこれからはどこを目指せばいいのだろうか」―根本さんはこう結んでいる。東北に育った人は、今、複雑な思いなのである。
 
 
 

▲雨の後の桜。前日に雨が降ったため、満開の桜がだいぶん散ってしまっている。「今年の花見はさんざんですばい」とたこ焼き屋さんが嘆いていた(3月31日午前8時50分撮影)

 
 

こんなのもアリマス

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