第184回 峠の麓でオッペケー

前山 光則

 今頃、桜前線はどのあたりを北上しつつあるだろうか。青森県あたりなのだろうか。
 4月も10日頃になって、かねて親しくしているT氏から「花見しましょうや」と誘われた。「山の方へ行けば桜を愉しめますよ」、T氏は自信ありげだった。そこで12日、T氏の運転で、総勢4名、阿蘇の高森町へと出かけることになったのだった。ちょっと曇り気味であった。朝の8時過ぎに八代を発して、高森の峠麓に着いたのが10時。そこらは「千本桜」と呼ばれるが、実際には6千本ほど桜の木があるらしい。車から下りて、「ほう……」と声を出してしまった。標高およそ6百メートルほどのところなのだが、四方八方に山桜やソメイヨシノやらが花咲いており、おおむね満開状態。林の中にはいくつもの句碑が立つ一画があって、その一つには「なほ奥へこころの花をさがすべく」という句が刻まれている。作者名を見たら、熊本市の俳誌「阿蘇」主宰・岩岡中正氏である。うむ、心の花を探すのか、と感心した。折しも「桜祭り」開催期間中で露店が並び、にわかの舞台まで設置されている。雰囲気を盛り上げるための調子の良い曲がスピーカーから流れはじめた。露店では地鶏を焼いたのや団子、ヤマメの塩焼き等が売られている。「天気のせいか、お客さんが来らっさんですなあ」と店の人はぼやくが、いやまだ時間が早いだけである。「ヤマメ天ぷら蕎麦」などというメニューが掲げられていて、これなどはあと1時間でも経てば腹が空くから食べてみたいものであった。女房はカライモ団子を人数分買い込んで「後でおやつに食べようね」と上機嫌であった。
 スピーカーの音量が高くて、耳にジンジン来る。しかも、懐かしの名曲どころか、もっとずっと古いような気がして、はて何だったか。しばらく考えて、はたと思い当たった。
「権利幸福きらいな人に/自由湯をば飲ましたい/オッペケぺッポーペッポッポー/かたい上下(かみしも)かどとれて/マンテルズボンに人力車/いきな束髪ボンネット……」 これだ。明治時代の中頃に川上音二郎がうたって一世を風靡したという「オッペケー節」である。なんとまあ、タイムスリップしてしまうようなものが高らかに響くから、お酒に酔っ払ったような気分になってきた。すると、曲が変わり、今度は「カチューシャかわいや/わかれのつらさ/せめて淡雪とけぬ間と/神に願いをララかけましょか/」と「カチューシャの唄」が流れてきた。確か大正時代初期に流行した歌だ。こちらの方が「なほ奥へこころの花をさがすべく」の気分に戻りやすいかな。しかし、あいかわらず音量が凄い。
 昼は高森町のマーケットで弁当を買い込み、根子岳の麓まで行って野原で食べた。そこは静かで、心が安らいだ。桜も美しかった。桜前線を追いかけるのは、わざわざ日本列島を北上しなくてもいいのだな、と思った。
 
 
 
写真①高森峠の麓の桜

▲高森峠の麓の桜。桜の多さに感心するが、平地と違って花を下から見上げたり、上から見下ろしたりして、立体的に愉しめる。これが山間部の桜名所の長所ではなかろうか

写真②桜祭りの露店

▲桜祭りの露店。この店には串団子が売ってあった。他にもいくつか店が出ていた。当日は土曜日だったから、昼時には花見客で賑わったことだろう

写真③鍋の平キャンプ場

▲鍋の平キャンプ場。根子岳の麓。ここで弁当を開いた。近くの薮へ入ると、タラの芽があちこちに見受けられた。昼食の後、T氏はタラの芽採取を始めた。ずいぶんと慣れていらっしゃるようであった