第188回 奥付を見ながら

前山 光則

 本棚はたまには整理すべきである。
 そんな殊勝な気持ちが湧いて、本棚の前に立った。そうしたら、石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』(昭和26年4月、光文社)、三上慶子『月明学校』(昭和26年8月、目黒書店)を手にして、ふと気づいた。奥付の下部に著者名や版元名・住所等が刷り込んであるが、上部に検印紙が貼られている。そう、昔の本はこうだったよな。なんだか懐かしい。かつて、出版社は著者に刊行部数分の検印紙を持って行き、すべてに印鑑を捺してもらっていた。そしてそれを奥付の印紙欄に貼り付けておけば、著者の承諾のもとに本を発行・販売することの証明となっていたのである。
 青木茂『小説・三太物語』(昭和30年3月、第5版。光文社)、島尾敏雄『夢の中での日常』(昭和31年9月、現代社)、室生犀星『好色』(昭和37年、筑摩書房)、この昭和30年代刊行の3冊にも検印紙がある。しかし、弥生書房刊行の本が2冊並んでいたから見てみたら、昭和32年2月刊行の耕治人『詩人・千家元麿』の奥付には「著者との了解により/検印を廃止します」と刷り込まれている。そしてその2年後に同書房から出た久保田義夫『黄色い蝶の降る日に』になると、断り書きすらない。この出版社は早い時期に検印廃止を行なったのではなかろうか。廃止する理由は、ズバリ、煩雑を避けるためであったろう。検印紙を用意する、著者にいちいち捺印してもらう、それを発行した本のすべての奥付に貼り付ける、この手間ひまは馬鹿にできないものであったわけだ。
 昭和40年代の本を見ると、小林秀雄の『藝術随想』(41年12月、新潮社)には「新潮」と刷り込まれているだけである。しかし、小川国夫『アポロンの島』(昭和42年7月、審美社)、これは著者の自費出版本がにわかに世の注目を集めたために改めて審美社から刊行されたのだが、ちゃんと検印紙がついている。あの頃は検印の習慣を守るところと、著者との了解により検印を廃止するところ、あるいは「了解」すら全くとらない出版社も多く出ていた時期ではなかったろうか。わたしは昭和42年の冬から44年1月まで雪華社という小出版社に勤めたが、そこが出していた倉田百三『出家とその弟子』(昭和42年9月、再版)の奥付は弥生書房のそれと同じ文言で検印を省略してある。一方で、同じ雪華社の三木清『人生論ノート』『哲学ノート』『読書と人生』、この3冊はよく売れていて、しかも検印の習慣が保たれていた。増刷の度に三木清の遺族の家に検印紙を持参してお邪魔し、印鑑を捺してもらっていた。
 検印は、たいていの著者が出来合いの印鑑を用いている。しかし、室生犀星の『好色』に捺されているのは味わいのある篆刻印である。趣味人だったのかなあ……などと、奥付を見ていてしばらく時間を忘れてしまった。
 
 
 
写真①室生犀星の本の奥付

▲室生犀星の本の奥付。右側が『好色』で、手彫りの大きな印鑑が使われている。左側は同じ室生犀星の『二面の人』(昭和35年、雪華社)。これも手彫りだが、小さな印鑑だ。いくつも持っていて、使い分けていたのだろう

写真②戦後間もない頃の本

▲戦後間もない頃の本。上の『月明学校』は熊本県球磨郡上村(現在、あさぎり町)での分校教育の様子を綴った本。題字は志賀直哉が揮毫している。著者名が入っていないし、紙も粗雑な酸性紙だ。下の『三太物語』は、初版は昭和26年刊。NHKラジオで連続放送されて話題となった