連載コラム: 『本のある生活』 2014.07.03

第191回 赤松館百年カレーを食べた

前山 光則

 先月の28日、女房と一緒に八代から南へ20数キロ車を走らせて芦北町田浦の赤松館(せきしょうかん)というところへ行った。
 八代では不知火海は単調な潟海だが、芦北町へ来るとリアス式海岸となり、田浦は入江の奥に位置する。町の真ん中に木造二階建ての堂々たる近代和風建築物があって、そこが近くの三太郎峠の一つ赤松峠にちなんで「赤松館」と呼ばれているのである。御屋敷脇の米蔵の入口右横にカフェがあり、昭和初期のレシピをもとに作られるカレーがとてもおいしいとの評判だ。それを食べたくて出かけた。
 いい天気だった。着いてから、まず入場料500円を払って御屋敷を見学した。ここは地元有志が「NPO法人赤松館保存会」というのを組織して建物の保存管理をしており、案内もしてくれる。座敷・居間・台所・釜屋等々、建築面積は769㎡。庭がまた大きな池があるし、種々の木が植えられ、実に広い屋敷である。ランプや蓄音機、ラジオといった昔のものや絵画、書、古布のキルトなど色々あって飽きない。先代当主の藤崎弥熊が昭和初期に英国に留学中16ミリフィルムで撮影したというロンドン風景、これがまたカメラワークがよくて当時のロンドンの様子が偲ばれる。登場する日本人たちが洋装して街を歩く姿がサマになっていて、頼もしい。
 先々代当主・藤崎弥一郎の妻アサは、宮崎八郎の許嫁だったそうだ。八郎が西南戦争で戦死したため弥一郎に嫁いだので、ここには八郎の弟である民蔵・滔天らがよく訪れていたという。明治23年に水俣出身の徳富蘇峰が東京で国民新聞社を立ち上げる際には、創業資金を援助してやっている。新島襄が保証人になったが、新島はじきに逝去する。それでも弥一郎は蘇峰を信用していたから援助を止めなかったのだという。また、赤松館は明治26年に着工するが、翌年には日清戦争が勃発する。弥一郎はお国の一大事の時に私事を優先すべからずとして、建築工事をあえて中止したそうで、だから建物の主屋2階の大半が未完成のままである。こうした説明をあれやこれや聞いているといちいちにドラマがあって、タイムスリップしてしまう感じだ。
 見学を終えた頃、正午となった。腹も減ったので米蔵カフェでカレーを注文した。その名も「赤松館百年カレー」。やがて運ばれてきたカレーはスパイスも程々でコクがあり、評判通りだ。そういえば、先々代当主・弥一郎の6番目の娘で料理研究家の江上トミは創世期のテレビ料理番組のレギュラーとして活躍した。ふっくらした体格、ちっとも気取らぬ語り方で茶の間の人気者だったなあ。
「でも、昔のレシピのままではありません。やや現代風にアレンジしているとですよ」
 調理当番の女の人がそう言った。昔のレシピそのままに作るのは、夏休み期間だけだそうだ。よーし、また夏休みに食べに来るぞ!
 
 
 
写真①中庭から見た赤松館

▲中庭から見た赤松館。池の畔から撮影。画面の右の方にはバラ園もある

写真②ただいま上映中

▲ただいま上映中。画面に映っているのは、ロンドン市街を歩く日本人である。上映時間は7分。なんだかチャップリンの映画を愉しんでいるような気分になれる

写真③料理研究家・江上トミ

▲料理研究家・江上トミ。明治32年、藤崎家に生まれる。亡くなったのが昭和55年で、享年81歳だった。このにこやかな顔をテレビで観て親しんでいた人は多いと思う

写真④赤松館百年カレー

▲赤松館百年カレー。カレーの他にサラダとお新香がついて600円。赤松館は土曜・日曜・月曜しか一般公開していないので、カレーが食べられるのも週のうちその3日間。カフェは午前10時から午後2時まで営業するのだそうだ

 
 
 

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