連載コラム: 『昭和の子』 2014.10.14

第六十回 ノモンハン無情

三原 浩良

◆ノモンハン、戦場との再会
 国境の街、満州里から引き返し、列車で黒竜江省の省都・ハイラルに向かう。ここからノモンハン事件の起きたノモンハンに向かうためである。
 一行11人のうち7人がハイラルに駐留し、ノモンハンの凄惨な戦闘で生き残った元兵士である。
「わたしゃ、もう涙がとまらんよ。昭和12年からここにいたんだよ」
 福岡市の古賀精蔵さん(当時69歳)は、ハイラル駅頭で何度も眼鏡をはずし、慟哭した。古賀さんは野砲隊だったが、除隊後もここに残って電力会社で働いてきた。
 長崎市の松田京一郎さん(同68歳)は、ノモンハンの戦闘で貫通銃創を受けたが、奇跡的に生還したひとりである。
 ノモンハン事件とは、昭和14年(1939)に日ソ両軍が外モンゴルと旧満州の国境で軍事衝突を繰り返し、日本側死傷者2万人、ソ連側死傷者2万6千人といわれる戦闘をさす。
 マイクロバスでハイラル市内を巡回する。「もう戦争の話はやめようぜ」「そうだな、謝罪の旅なんだからな」などと言いつつも、どうしても一行の話はそこへいく。46年ぶりの〝戦場〟との再会が名状しがたい興奮にかりたてていくようだ。
「兵舎のあった赤松公園へ」「いや師団の跡が先だ」「伊敏橋はここじゃないぞ」
 沈黙を守る中国側のガイドをよそに、マイクロバスのなかは興奮がつづき、バスは街を右往左往する。
 しかし、2万数千の兵が駐屯していた第23師団跡も、赤松公園も、領事館跡も往時をしのばせるものは何も残っていなかった。
「ああ、何も残っていない。駅も街も何もかも新しくなってしまった」と、古賀さんは肩を落とし、みな気落ちした様子だった。

◆たったひとりの慰霊祭
 翌朝早く、マイクロバスで4人がノモンハンに向かう。このうち戦闘体験者は松田京一郎さんだけである。道なきホロンバイルの草原をひた走ることおよそ3時間。時折、遊牧民に道をたずね、当時の行軍の目標だったという〝3本松〟にたどりつく。
「あの先はソ連だ。これ以上国境線に近づくことは危険で許されていない」とガイドに説得され、それ以上進むことを断念する。3本松はいまでは2本になっていた。
眼前にひろがる大草原は地平線まで見渡せ、国境がどこなのかよくわからない。
 松田さんは、松の根方の砂地に、用意してきたロウソクと線香を手向け、亡き戦友たちの霊に合掌した。わたしたちも手をあわせる。強風が砂を巻きあげ、松田さんが持参した経本を吹き飛ばした。
 簡素な供養をおえて「ああ、やっと肩の荷が下りたよ」と長嘆息した松田さんに、ガイドは「あなたは46年前、ここに何しにやってきたのですか」と尋ね、松田さんは絶句した。若いガイドはノモンハン事件のことなど全く知らぬ様子だった。
 その数さえ定かでないノモンハンの戦死者たちの遺骨収集が、中国政府に認められたのはさらに後年、2004年になってからである。

◆その後の調査と遺骨収集
 ノモンハン事件は謎の多い戦闘だったと言われる。十数年にわたって資料を集めてきたという司馬遼太郎もとうとう執筆をあきらめたという。
 10年前に現地調査した「日中友好平和問題調査団」の報告(2004)によれば、現地には「ノモンハン戦争陳列館」があり、ハイラル周辺には元の兵舎や砲台陣地跡も残り、野ざらしの人骨や穴のあいた鉄兜や砲弾も見られたという。
 陳ゆうさん(中国在住の邦人)のサイトをのぞいたら、「ノモンハン・満州里への個人旅行」(2011)というブログがあった。
 わたしたちとほぼ同じルートを単身タクシーでたどった陳さんによれば、「草原の一本道を120キロくらいで飛ばした」とあり、写真を見ると、その後つけたと思われる簡易舗装の一本道がまっすぐに延びている。
 プレハブの「展示館」(おそらく先の「調査団報告」の「戦争陳列館」か)には砲弾や鉄兜などの遺留品が展示されていたという。
 陳さん撮影の満州里の写真をみると、広い道路に面した商店街にはビルがたちならび、ロシア語と中国語の看板が軒を連ねている。わたしたちが訪れたとき、中ソ両国は東側の国境地帯で不穏な空気だったので、街でソ連人の姿を見かけることはなかったが、いまではロシア人の姿が多いという。
 陳さんによれば、「2年前にメインストリートのビルを建て替え、長崎のハウステンボスのような街並み」になっていたそうだ。
 ハイラルも満州里も、30年前とはすっかり様変わりし、制限はあるものの戦跡や戦闘の遺留品も公開されているようだ。
 さらに2014年の「ノモンハン戦跡日蒙共同調査団」は、激戦地に残る関東軍の塹壕跡も発見し、壕の底にはソ連軍の戦車に手製の火炎びんで立ち向かったときのサイダー瓶などが残っていたという(「朝日新聞」2014年7月8日による)。
 この地の戦闘ではおよそ8000人が戦死したと言われるが、14次にわたる政府の遺骨収集では263柱が収容されただけである。
 
 
 

こんなのもアリマス

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