連載コラム: 『昭和の子』 2015.04.17

第七十四回 「暗河」から『逝きし世の面影』まで

三原 浩良

◆渡辺京二さんと久本三多
 いま手元に資料がないので正確なことは言えないが、葦書房で過ごした8年あまりのあいだにおそらく150冊前後の本を送りだしたのではなかろうか。このほかに手がけた自費出版の本も相当ある。このうち少なくとも半数はわたしが編集を担当している。
 編集の楽しみは、何といっても著者の息づかいまで感じられる生の原稿の最初の読者になれることだろう。そこで出会うさまざまな発見や感動が、ひそかなよろこびをあたえてくれる。それが世間に広く受け入れられれば、喜びは倍加する。

 1973年1月、葦書房は『筑豊炭坑絵巻』を刊行して増刷を重ね、名実ともに出版社としての基礎ができた。創業3年目だった。そのころ社長の久本三多君を、わたしは渡辺京二さんに紹介したように思う。
 ちょうど水俣病闘争が一段落したころで、熊本では「水俣病を告発する会」の面々を中心に雑誌発行の話がもちあがり、季刊誌「暗河」の発売元を葦書房が引き受けることになった。
「本誌の刊行は葦書房の久本三多氏が発売元を引き受けてくださることによって一応の保証が得られることになった。久本氏の義侠に感謝する」と渡辺さんは創刊号の編集後記に書いている。
「暗河」の編集・発行責任者は松浦豊敏、石牟礼道子、渡辺京二の3人だったが、編集実務も葦書房が引き受け、翌年には編集に携わっていた福元満治君(現石風社代表)が入社して引き継ぐ。
 創刊号(1973)の目次をみると、「越南ルート」(松浦豊敏)、「西南役伝説」(石牟礼道子)、「宮崎兄弟伝」(上村希美雄)、「ドストエフスキイの政治思想」(渡辺京二)など力作の連載がはじまり、いずれも連載後に単行本となって刊行される。
 久本君は渡辺さんに私淑せんばかりに傾倒し、渡辺さんの著作を次々に出していく。『小さきものの死』(1975)、『神風連とその時代』(1977)、『日本コミューン主義の系譜』(1980)、『地方という鏡』(1980)、『ことばの射程』(1983)、『なぜいま人類史か』(1986)まで、ほぼ毎年出している。
 この間、渡辺さんは他社からも『評伝宮崎滔天』(1976、大和書房)、『北一輝』(1978、朝日新聞社)を刊行し、後者は1979年の毎日出版文化賞を受賞し、旺盛な執筆活動をつづけていた。
 ところが、「『日本コミューン主義の系譜』以降に書いた文章を一本にまとめるのは三多君との約束だったが種々の事情からぐずついているうちに彼はにわかに世を去った。この約束は当然新社長の三原浩良氏によって引き継がれたけれども、当方の事情でさらに延引」する。
 渡辺さんは80年代後半からほぼ10年のあいだ、「ほとんど文章の業を断って」しまったのである。

◆タイトル変更して『逝きし世の面影』に
「日本近代を主人公にした長い長い物語を書きたいという私のねがいを知った久本三多君は、それを自分の手で出版するのをたのしみにしてくれていた。いまその第一巻を葦書房から上梓するのは、もとより故人と生前の約を履むのである」(『逝きし世の面影』あとがき)
 久本君を引き継いだわたしは待ちつづけた。10年近い沈黙を破って渡辺さんが「長い長い物語」のペンをとったのは、1995年だった。
 そのころ、渡辺さんとも旧知の新聞社時代の友人、首藤宣弘君が「週刊エコノミスト」の編集長になり、まずここで「われら失いし世界」のタイトルで一年間連載することが決まり、わたしはさらに待つことになった。
 連載に大幅な加筆をして倍以上にふくらんだ原稿が届いたのは1998年の初夏だった。読み進めながらわたしは興奮をおさえられなかった。内容については言うまい。それはすでに広く知られており、屋上にさらに屋根をかける必要はなかろう。懸命に「帯」の原稿をひねった。
「幕末・明治の外国人訪日記を博捜・精査し、彼らの目に映った豊かな文明の諸相から近代日本が滅亡させたものの意味を問う」
 惹句としては平凡になってしまったが、これ以上には書きようがなかった。A5判500ページの大冊の定価は4200円と高くなったが、何としても多くの人に読んでもらいたい。
 刊行前に思いきって朝日新聞一面に予告広告を打った。タイトルは「エコノミスト」連載時の『われら失いし世界』である。
 ところが広告に目をとめた方から意外な電話がはいり、驚いた。「すでに同名の著書が出ている。トラブルを避けるためにタイトルは替えたほうがよくはないか」と。
 指摘の書籍はピーター・ラスレット著『われら失いし世界――近代イギリス社会史』(原題「the World We Have Lost」、1986、三嶺書房)であった。電話はこの本の翻訳者のひとりからだった。
 むろんわたしは知らない。渡辺さんに連絡をとると、さすがにご存じで相当著名な本らしく、「替えよう」となった。もともと腹案があったのか、すぐに返事がきた。そんな経過をたどってタイトルは急きょ『逝きし世の面影』にかわったのである。
 高い本だったが刊行直後から書評も相次ぎ、『逝きし世の面影』はよく売れ、版を重ねた。葦書房版だけでも10刷までいったのではなかろうか。
「私が本筋と思っている著書はだいたい初刷三千、重版なしというのが常態だった。ところがこの本は売れた」(平凡社ライブラリー版あとがき)と著者も驚く反響だった。事情あってこの本はのちに平凡社から再刊され、いまも版を重ねている。
 ところで久本君と渡辺さんにはもうひとつ約束が残っていた。「『日本コミューン主義の系譜』以降に書いた文章を一本にまとめる」というものである。
 渡辺さんの近代史に関する初期の論稿『小さきものの死』と『日本コミューン主義の系譜』はすでに品切れになっていたのでこの2冊を復刊し、さらに単行本未収録の旧稿をまとめてあらたに2巻を編み、あわせて「渡辺京二評論集成」全4巻にしたい、という渡辺さんの提案だった。
『逝きし世の面影』でひろがった読者からの求めもあり、わたしは即座に承諾して編集にとりかかった。「一本にまとめる」約束は全4巻にふくらんだが、読者はこれで渡辺さんの思考の軌跡をたどることが可能になる。
 こうして『日本近代の逆説』『新編小さきものの死』『荒野に立つ虹』『隠れた小径』の「評論集成」4巻を1999年から2000年にかけて刊行し、わたしはご両人への責めをやっと果たすことができたのである。
 
 
 

こんなのもアリマス

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