連載コラム: 『本のある生活』 2015.07.13

第229回 電話が不便だったあの頃

前山 光則

 もうかれこれ7年間、地元のFMやつしろというラジオでお喋りをしている。第二・第四水曜日の午後1時から2時45分まで、若い女性アナウンサーと一緒に旅行・文芸・世相・地域の話題・うまいもの等について語り合い、番組の最後には季節に見合った俳句を紹介するのである。方言丸出しで喋ってかまわないので気楽だ。ボケ防止にも役立つ。
 6月24日(水)、放送開始後間もなく「……そういえば、子どもの頃はよく隣の家に電話を使わせてもらいに行きよった。隣の家から、おおい、誰々さんから電話かかってきたよーって呼んでくれることもあったし」と何気なく喋ったら、アナウンサーMさんは「よその家の電話を使うんですか、呼んでもらったりもしたんですか」、目ん玉を丸くした。そう、手紙の裏に自分の住所を書く際にも最後に呼 と記した上でいつも取り次いでもらう隣家の電話番号を明記していたもんだ。わたしは人吉の町なか育ちだが、電話を据えられる家庭はそう多くなかった。電話を家に備えるには相応の費用が要ったのだ。人吉よりも田舎の方はもっと深刻で、昭和50年に球磨郡水上村岩野の多良木高校水上分校に赴任したとき、教職員住宅に入居したが、そこには電話回線が来ておらず、設置を申し込んでから実現するまでに2年間待たなくてはならなかった。経済的に可能でも、回線がないのではお手上げだったわけだ。「今は一家に電話一台どころか、家族の一人一人がケータイを持っとるでしょうがね、夢のごたる話バイ」、ひとしきり昔の電話事情を語ってしまった。番組が始まったときには特撮映画について喋っていたのに、ポロリと昔の電話事情に触れたらこっちの方が長々と続いてしまって、あーあ、こりゃいかんワイと、恐縮したのであった。
 ところが、しばらくしてから放送局にFAXやメールで「ホントに昔は電話って貴重でしたね」「電話を持ってるお家って、それがステイタスになってましたよ」「彼氏からの電話を取り次いでもらって、恥ずかしかったことを思い出します」などと次々に反響が届いてビックリ。最近はインターネットで聴く人も多いから、八代地域だけでなく神奈川や愛媛からもメールが来た。皆さん60歳代が多く、昭和30年代から40年代にかけて最も多感な時期を過ごした方たちであった。アナウンサーのMさんも、後で「ああいう話を、もっと聞かせてください」と言ってくれた。彼女は40歳になったばかりで、ものごころつく頃には日本は昭和50年代に入っており、経済の高度成長を遂げてずいぶんと豊かで便利になっていた。そのような中で育っているから、こちらが語るひと昔前の思い出話もえらく物珍しかったのではなかろうか。
 自分たちの経験したことをそのまま消えさせては、いかんようだ。大切なのは語り継いでいくことなのだな。あらためてそう思った。
 
 
 
写真① 昔の黒電話

▲昔の黒電話。昭和30年代に入ってからこの手の電話機が見られるようになったと記憶している。ダイヤルを回して電話をかけるのだ。壁掛け式のものもあったらしいが、なじみがあるのは写真のような卓上型だ

 
 
写真②市房山遠景

▲市房山遠景。昭和50年4月から54年3月まで市房山の麓で暮らしたが、行ってすぐ電話を申し込んだのに設置してもらえたのは2年後であった。その間、勤め先か近くの郵便局で電話を使わせてもらっていた

 
 
 

こんなのもアリマス

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