連載コラム: 『昭和の子』 2015.09.28

第八十一回 傷ついた憲法と戦後民主主義

三原 浩良

◆憲法と安保条約の矛盾
 限定つきとはいえ、自衛隊の集団的自衛権行使に道をひらく「安保法制」が成立し、施行から70年近い「戦後憲法」は、おおきく傷ついた。
 憲法学者の多くが「違憲」とする疑問の多い法制を、政権は「平和安保法案」と言い、反対する人たちは「戦争法案」ときめつけ、議論の熟さぬまま「解釈改憲」法案は与野党の政治ゲームのなかで不幸な成立をみた。

 しかし、すこしふりかえってみよう。こうした「安保法制」をめぐる議論は、実は「対日平和条約」(昭和26年調印、翌年発効)と同時に調印された「日米安全保障条約」に根をもっている。憲法と安保条約の「矛盾」はここから始まっている。
「対日平和条約」には日本をふくむ世界の49ヵ国が調印したが、ソ連、チェコ、ポーランドは調印を拒否したため、「片面講和」と呼ばれ、知識人のあいだで全面講和か片面講和か、をめぐって議論が沸騰していた。
〈年表〉によれば、このふたつの条約の調印と発効のあいだに、吉田茂首相は国会で「自衛のための戦力は違憲ではない」と答弁し(4日後訂正)、条約が発効すると警察予備隊を改組して保安隊(のち自衛隊)を発足させ、「新国軍の土台たれ」と訓示している。
 翌28年、高校1年のときだった。「全面講和か片面講和か」をめぐって侃々諤々、おさないながらクラス討論をやったことをおぼえている。
 この年、「中央公論」は特集「日本はアメリカの植民地か」を編み、「日本は植民地か従属国かの論争」がさかんだった。
 そのころの世論調査の結果をみてみる。朝鮮戦争さなかの昭和25年暮れの「読売新聞」の調査では、「日本が軍隊を持つべきか」という問いに対し、

   賛成 43.8% 
   反対 38.7%  
   わからない 17.5%

 2年後の平和条約発効直前の「朝日新聞」の調査では、再軍備のための憲法改正について、

   改正して軍隊を作る必要なし 32% 
   改正して軍隊を作る 31% 
   わからない 31%

 世論は分裂していた(調査データは吉見義明『焼跡からのデモクラシー』上より)。
そう、日本共産党だけが非武装主義の憲法に反対し、再軍備を主張していた。そんな時代からこの「矛盾」は始まっているのである。

◆ジレンマをかかえたままの改憲は可能か
 小熊英二は、こうした「矛盾」について次のように指摘する。

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 注目すべきなのは、他国との安保条約を排除した非武装平和主義が、「自主独立」の思想として説かれていたことである。そしてじつは、後年の進歩派による第九条擁護論の内容のほとんどが、一九四六年の時点では政府側によって唱えられていたといってよい。
 戦後日本の保守ナショナリズムは、改憲や軍備増強をうたえばうたうほど、それが対米従属を深める結果になるというジレンマを背負っていた。(『〈民主〉と〈愛国〉』)

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 先の「日本は植民地か従属国か」の論争がわきおこった理由でもある。しかし、この論議は、その後もつづいている。思いだされるのは次のようなエピソードである。
 60年代に外務大臣をつとめた椎名悦三郎は、安保条約をめぐる国会質疑で「アメリカは日本の番犬であります」と答弁し、野党から「そんなことを言っていいのか」と責められ、「番犬様でございます」と言い直して、笑いをさそったという。
 また国会の〝暴れん坊〟といわれたハマコーこと浜田幸一は、「日本はポチだ。ポチはご主人様の言うことをきかねばならん」「日本はアメリカの植民地だ。アメリカがいいと言わなきゃ、何もできやしないんだ」と喝破していた。
 さらにハマコーと同じ青嵐会に所属していた石原慎太郎は、よく知られるようにアメリカに対し『「NO」と言える日本』が持論である。
 自民党は結党以来、60年にわたって「自主憲法制定」を党是としてきた。しかし、日米同盟強化をうたい、この「矛盾」をかかえたままでの憲法改正は、分裂した国民世論のまえにとうてい実現は難しい。小熊の指摘する「保守ナショナリズム」のジレンマである。
 ではかつての革新の流れをくむリベラル派は、保守のかかえるこのジレンマを乗りこえて国家像をどう描こうとしているのか、その姿はまったく見えてこない。
 
 
 

こんなのもアリマス

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