連載コラム: 『本のある生活』 2015.12.17

第243回 大築島へ

前山 光則

 『昭和の貌』(弦書房)等の写真集で知られる麦島勝さんが、以前から「もう一度、大築島へ行きたかなあ」とおっしゃっていた。
 おおつくしま。不知火海の真ん中に浮かぶ無人島だ。島の周囲は約3.8㎞、島全体が石灰石で、かつて日本セメントという会社によって採掘されていた。採掘開始が明治23年、それから平成8年までの106年間、削られつづけ、もともとは島全体が標高100メートルを優に越える山だったのに、現在では隅っこの方に60メートル程度の小丘が残されているだけである。その大築島へ、11月29日、麦島さんを始めとして総勢10名で渡ることができた。八代博物館の学芸員さんや熊本高専八代キャンパスの先生たちが色々動いてくれて、渡島が実現したのだった。船は漁協の人が出して、操縦してくれて、また島で生まれ育ち、働いて、現在は八代市内に居住する鬼塚博氏も同行してくださった。
 島までは、八代港から発して約20分余である。小雨のぱらつく中、船は進んだ。島へ到着すると、簡素な桟橋があって、時折は土建業者が作業に来たり、それから自衛隊の演習も行われるというから驚く。日ごろ散歩しながら球磨川河口から大築島が遠望できるのであるが、そういうことは今までちっとも知らずに過ごしてきたなあ。島の反対側へ通じる道が一本だけあって、雨に濡れて足元がネチャネチャぬかるむものの、一応、不便はない。麦島さんは嬉しそうだった。しかし、それから外れて薮に踏みこんでみたところ、葭の類や葛蔓がおびただしく茂っていて歩きづらい。「あっちですよ、居住地があったとは」と鬼塚氏が指差してくださる方は、まだまだ遠い。茂みに阻まれていなければ簡単に辿れる距離なのに、ちょっと行けそうもない。採掘の盛んな時期には250人余が住んでいたらしいが、「ここは水がなかですもん」と鬼塚氏はおっしゃった。「水は、屋根の樋を利用して雨水を溜めとくしかなかった」のだそうで、風呂には海水を沸かす。風呂から上がるときだけ真水を体にかけたという。「ばってん、雨水はうまかとですばい。お茶淹れて、そーにゃおいしかった」、鬼塚氏はニッコリ笑った。ただ、台風の時には困っていた。風が吹き荒れると雨に潮水が混じって、「屋根から樋を外して、貯水槽に水が入らんようにせにゃならんし」とのこと。水に不自由する暮らしの大変さがジンジンと伝わってきた。
 島は弓なりに湾曲しているが、その内側部分は頑丈な堤防で仕切られ、埋め立てが行われている。埋め立ては、一つにはすぐ南の日奈久新港を作った時のヘドロ処理のためであった。そして、現在は巨大豪華船が入港する八代港の航路整備のために浚渫が行われていて、ヘドロがやはり運ばれてくるのだそうだ。かつて日本近代化のためガリガリに削られ、今また港の整備のために埋め立て地と化す……、なんとも胸が痛む思いであった。
 
 
 
写真①島へ上陸

▲島へ上陸。小雨がちの中、船を降りる。無人島で、船着き場もなかろうと思いこんでいたが、違っていた。用心しいしい陸へ上がった

写真②麦島さん、嬉しそう

▲麦島さん、嬉しそう。ここへ来るのは久しぶりなのだそうだ。かつて撮った写真と現在の風景とを比較できるので、やる気満々である

写真③埋め立て部分

▲埋め立て部分。ここへ踏みこんだ途端にヘドロに悩まされた。ネチャネチャした感触で、気持が悪い。登山靴を履いていたのだが、後で洗う時なかなかきれいにならず、困ってしまった

写真④さよなら、大築島

▲さよなら、大築島。お別れである。でも、きっとまた行くよ。島の全域を歩いてみたい!
こんなのもアリマス

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