第245回 ゴミは生きとる証し

前山 光則

 謹賀新年。よくしたもので、なんとなくいつもと違って改まった気分である。
 ところで、どうしてもゴミがたくさん出るなあ、と、いつも思う。燃えるゴミは毎週火曜・金曜の朝、再生可能な資源ゴミの場合は毎月第1・第3水曜の朝が収集日である。町内の所定の場所に、毎度ゴミが山をなす。わが家は現在二人暮らしなので、比較的少ない方だろう。とりわけ燃えるゴミの内、生ゴミはコンポストを3個持っており、それへ順繰りに食べかすや落葉やらを投げ入れておいて、ある程度溜まったら泥をかけ、またその上に生ゴミを放り込む。それを繰り返すうちにコンポストの中がいっぱいになるので熟成させる。新たなゴミは次のコンポストに入れるようにする、と、こうしたことをやっている内に堆肥ができあがる。堆肥は家庭菜園に、といっても猫の額ほどのスペースに野菜を育てているだけだが、利用しており、結構役立っている。だから、わが家の燃えるゴミは運ぶ際に軽くて済むし、臭わない。ゴミの山には決まって犬猫やカラス等が寄ってきて食い荒らすが、そのような心配は無用である。
 資源ゴミは、新聞・雑誌・ダンボール・乾電池・ペットボトル・プラスチック類・発泡スチロール等と分別しなくてはならない。空瓶は、色のついたもの・透明なもので分ける、等々、21種類に分けてあって、しかも汚いままでは失礼である。食料品の容器は洗って乾かした上で収集場へ持って行く。こういう資源ゴミは堆肥にはならないから、わが家でも溜まる一方だ。分別した上で運ぶが、収集場は露天だから新聞・雑誌やダンボール類になると雨の日には濡れてしまうから控えなくてはならない。それにしても、とにかくわが家なぞ人数が少ないからゴミの量もたいしたことないはずなのに、知らぬ間に結構な溜まりようである。毎回、運びながらため息が出てしまう、というのが正直な気持ちであった。
 それで、年末、資源ゴミを持っていったとき、係の人に「お早うございます。寒かですね」と挨拶した後、ポロリと「あーあ、なんでこんなにゴミが出るんだろな。イヤになる」、愚痴をこぼしてしまった。ところが、痩せぎすの係員さんが弾けるような声で、「なーに、あんた、これはな、生きとる証拠たい」と言って笑うのだった。正直、面喰らった。年の頃70歳過ぎ。市役所の正規職員でなく、シルバー人材センターからの派遣で来ていらっしゃるのだろうか。その人はもう一度言った。「うまかもの食うたり、呑んだりして、こういうものが残るとだから、な、しっかり生きとる証(あかし)たい」、実に屈託のない表情であった。いやはや、こういう姿勢でゴミ収集にたずさわってくださる人には頭が下がる。ゴミを出しに行くのは好きなことではなかったが、苦痛に思ってはいけないゾ。
 ――今年もよろしくご愛読ください。
 
 
 
写真 初日の出

▲初日の出 1月1日の午前7時半過ぎ、東の山なみの方からようやく初日が昇りはじめた。電線がちょっと邪魔だった。来年はもっと見晴らしの良い場所で初日の出を拝みたいもんだ