連載コラム: 『本のある生活』 2016.06.10

第262回 この頃はおおむね眠れる

前山 光則

 今度のいわゆる「熊本地震」、4月14日の「前震」発生以来、たいてい夜中に二度か三度ガタガタっと揺れが来て目が覚めてしまい、そうなるとしばらくは寝つけず、睡眠不足が続いた。5月の下旬に入って余震にもおおむね気づかずに眠れるようになったのだが、それだけ地震が終熄に向かっているということなのか、それとも単純に自分が慣れてきたからか。ただ、6月7日午前2時48分の震度3は地元八代が震源で、さすがに久しぶりに目が覚め、飛び起きてしまった。
 わたしの住む熊本県八代市の地下には日奈久断層が走っており、これがいつ大きな動きをするのか警戒が必要だそうだ。人吉出身の先輩に地震予知の専門家がいて、時折り電話でアドバイスしてくださる。「八代は、元和5年(1649)3月に小西行長ゆかりの麦島城が大地震によって崩れてしまったとげなですもんね。わが家のすぐ近くですよ」とわたしが言ったら、先輩は「うん、いや、あの地震は、たいしたことなかったんだよ」とおっしゃる。それよりも、天平16年(744)や貞観11年(869)の時の方がはるかに凄いものだったことが色々の史料や調査研究によって分かるそうだ。そんな話を電話で聞いた二、三日後に、八代市立博物館の島津亮二氏が作成した「熊本・八代地域の地震関係年表」という題の資料を見ることができた。これによると、確かに元和5年の麦島城崩壊の地震は推定マグニチュード6.0から6.2程度だが、天平16年5月の時のマグニチュードは7だったらしい。雷雨と大地震が発生して八代・天草・葦北三郡の官舎や田290余町、民家470余区が水没し、溺死者は1520人、山崩れ280ヶ所、圧死40人。また保立道久著『歴史のなかの大動乱』を見ると、貞観11年の地震では肥後国の官舎がことごとく倒壊したのだそうだ。つまりわれわれ八代市民は、いつどういうふうにこのような大きな地震に襲われても不思議でないわけだ。こないだよりももっとひどい地震が来たら、わが家は持ちこたえられるだろうか。それどころか命を落としてしまうかも知れない、などと想像して、空恐ろしくなる。
 しかし、である。それがいつ来るのか。考え始めたら切りがない。でも、地震は深い地底の御機嫌次第で発生すること。人智の及ぶところでないので、ここはひとつ大地震が生じた際の避難法や日ごろの備えなど対応策を工夫しておく、そしてあとはもう不安が湧いて出ても無理矢理に胸の奥に押し込んで、いちいち気にしないようにして日々を過ごすしかない、という心境だ。そういえば、5月の半ばに友人が「紫陽花や今日で地震も一ヶ月」と俳句を詠んで、見せてくれた。気のおけぬ仲だから遠慮なく「なによ、これ、ノンキな句だねえ」と冷やかしてやったが、しかし実は彼も同じような気持なのかも知れない。
 
 
 
写真 氷室祭り

▲氷室祭り。八代市の妙見宮(八代神社)。氷室(ひむろ)祭りは「氷朔日(こおりづいたち)とも言われ、毎年5月31日の夕方から翌日の朝まで行われる祭り。例年より参拝者が多かったということだが、地震が早く終わるようにと願う気持の表れだろうか。6月1日午前4時少し前に撮影

 
 
 

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