第273回 椎葉村にて

前山 光則

 先月の28日と29日、友人と共に宮崎県椎葉村の山中へ泊まりがけで遊びに行った。
 28日、熊本駅前でS氏と待ち合わせて、午前9時40分頃、彼の運転で出発。益城町・御船町・山都町を通過して宮崎県へ入り、国見峠トンネルを潜れば椎葉村である。村の中心地の上椎葉に着いた時にはすでに12時を過ぎており、やはりこの村は遠い。とある店へ入って手打ちのとろろ蕎麦を食べたら、すごくおいしい。S氏もわたしも、今日は出かけてきてよかったわい、と満足である。だが、目的地へはまだまだ奥へと辿らなくてはならなかった。道がくねくねしている上に、途中で道路工事のためにしばらく足止めも食らったものだから、民宿「焼畑(やきはた)」に到着したのは午後3時過ぎだった。車から降りて屋敷の前に立つと、山から涼しい風が吹いてくる。それだけで心が和んだ。
 椎葉クニ子さんが健在であった。大正13年生まれのこの人は村の生き字引と言って良く、特に焼畑耕作や山菜にかけては若い頃からの経験と知識が豊富だ。クニ子さんの談話をまとめた『おばあさんの植物図鑑』という本は、山菜に関して他に追随を許さない名著である。早速わたしたちに最近のここでの暮らしぶりや村の様子やらを詳しく語ってくれて、アッという間に日が暮れた。夕食時には息子さん夫婦が作った手料理が並ぶ。わたしたちより先に来ていたデザイナーのMさんも一緒になって食事をしたのだが、クニ子さんが山盛りの山菜テンプラの一つ一つについて説明してくれる。「ばあちゃん、あんまり種類が多くて、覚えきらんですばい」と苦笑したほどだった。テンプラの他、ヤマメの塩焼き・刺身、椎茸・タケノコ・ニンジンの煮染め、コンニャクのぬた、豆腐等々、そしてやがて出てきたのがワクド汁。蕎麦団子汁なのだが、これを鍋で煮る時に団子が踊るのがワクド(大きな蛙)の飛び跳ねる様に似ているので、この名がある。焼畑産の蕎麦を使ったこの団子汁、ついついお代わりをした。
 翌朝、食事前に近くの山を歩いたが、焼畑は今、蕎麦の花盛りで、夢のような風景だ。民宿に戻り、朝食。その折り、クニ子さんの息子の勝(まさる)さんが話し相手になってくれた。勝さんは、「近頃、猪と共存しようと思うとります」と言った。山を焼いて畑を作る際、片隅に必ず栗の木を植える。大きくなって、実が生って、落ちる。これを、人間様でなく猪が食べるように放置してやる。そうすれば、少なくとも栗の実を食っている間は猪は水田や畑を荒らさない……。いや、本当にそうだ。山々に植林地を作りすぎて、獣たちの生活の場を奪ってしまったツケが、今、あちこちで頻出している。勝さんのように彼らと共存する智恵を働かせれば、事態はきっと良い方へと向かうはずだ。S氏もMさんもわたしも、大いに頷いたのであった。
 
 
 
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▲とろろ蕎麦を食べた店。豆腐かりんとうの製造販売をする店だが、手打ち蕎麦を食わせてくれる。あんまりおいしかったから、帰る前の昼にもここで蕎麦を食べた

 
 
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▲民宿「焼畑」。ここに泊まったのは17年ぶりだった。画面に写っているのは母屋で、以前はそこに泊まったのだが、現在はこちら側に宿泊棟ができている

 
 
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▲椎葉クニ子さん。大正13年生まれだから、90歳を超えているのだが、実に元気がよくて、ことばもハキハキして聞き取りやすい

 
 
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▲焼畑に蕎麦の花盛り。画面には写っていないが、勝さんの言うように焼畑の隅には栗の苗木と思われるものが育っていた

 
 
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▲山の神。焼畑への入り口に、こうして榊が立てられている。大自然への敬虔な気持ちが窺えるのである