連載コラム: 『本のある生活』 2016.10.31

第276回 昔の旅人は

前山 光則

 最近読んだ工藤隆雄著『マタギ奇談』という本は面白かった。北国で猟師のことをマタギというが、この本には彼らの生活のしかたや考え方がよく分かるように語られている。
 本の中で意外なことが書かれていた。秋田県の白神山地へ、江戸時代後期、三河(現在の愛知県豊橋市付近)の人、菅江真澄(すがえ・ますみ)が来たことがあるらしい。『菅江真澄遊覧記』などの著述で知られる旅行家・博物学者で、草本学にも詳しくて各地で医者的な働きもしたという人物だ。この人についてマタギが語ってくれたところによれば、当時の弘前藩は菅江の白神訪問になかなか許可を出さなかった。真冬になってようやく許されたが、「弘前藩は暗門の滝にある秘密を菅江に知られたくなかったためらしい」とマタギは語る。実は、白神山地内の滝周辺では弘前藩が秘密に家伝薬用のアヘンを栽培していたのだそうだ。藩はその秘密に触れられたくなかった。その後、菅江は弘前藩から登用されるものの、やがて追放の憂き目に遭う。つまり、江戸幕府の間者すなわちスパイではないか、と疑われていた……、なーるほど、地方を歩き回る旅人は得てして中央政権からのスパイと見なされてしまうわけなのか。
 いや、それで、もうずいぶん以前に沖縄のヤンバル地方で琉球大学の仲松弥秀先生が現地を案内してくださった時のことである。わたしはあの山稜地帯のヒラ(峠道)を取材しに行ったのだが、きっかけは笹森儀助が『南島探験』の中で書いていることに興味を持ったからだった。笹森は青森の人で、明治26年の5月から10月にかけて沖縄本島だけでなく宮古列島・八重山列島などのいわゆる先島方面にまで足を伸ばす。ヤンバルには6月に訪れて、このあたりの険しいヒラを歩く。そして、与那村の山中でハンセン病の人たちが放置されている場面に遭遇し、彼等が治療も受けられず苦しんでいたのを目撃して強い義憤にかられる。当時、明治政府は遠いハワイのハンセン病治療に援助の手を差し出していたのに、肝腎かなめの国内に対しては何もしておらぬではないか、と笹森は『南島探験』の中で痛烈に政府を批判している。わたしは、彼が山中のどのあたりでそうした現実を見たのか、確かめたかった。で、取材していたら、仲松先生のお弟子さんが、「笹森儀助は明治政府のスパイだったという説もあるのです」、こうポツリと言ったわけである。仲松先生は笑いながら「根も葉もないうわさです」と否定したが、妙に気になった。実に久しぶりにそのやりとりが思い出されたのだった。
 旅人は、得てして旅先でこのように疑われてしまうものなのか。前回登場の橘南谿などは西日本だけでなく東日本も精力的に歩いたので、やはりどこぞで険しい眼差しに見つめられていたかも知れない。むろん、今までそのような説を見かけたことはないが……。
 
 
 
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▲弘前城址。菅江真澄は弘前藩の薬事係として2年ほど仕えるが、寛政12年(1799)4月、突如その任から外されたのだという。往時の面影を遺す城址、春には花見客で賑わうそうである。2013年10月18日撮影

 
 
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▲秋田市「菅江真澄の道」。菅江真澄は秋田県内もよく歩いており、文政12年(1829)7月19日に梅沢(現在の田沢湖町)か角館(現在、千北市)で亡くなっている。76歳だったという。2013年10月15日、秋田市の千秋公園(久保田城址)近くにて撮影

 
 
 

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