第277回 『まるめろ』を開いて

前山 光則

 11月に入っていきなり寒くなった。それで、1階の和室で書きものをしていたのを止して屋根裏部屋へ移った。ここは暖かい。
 毎度のことながら、部屋を移るには色んな物を整理し、掃除しなくてはならない。すると、思わぬものが見つかったりして、我ながらビックリする。今回出てきたのが高木恭造の方言詩集『まるめろ』で、いっぱい積み上げた資料の束の中に混じっていた。おー、これは昭和52年3月18日に東京は神田神保町の「地方・小出版物流通センター」と称する書店兼問屋にて買い求めた本で、青森県弘前市の出版社が版元である。パッと開いたページに、「冬の月」という詩が載っていた。

「嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば/まんどろだお月様だ/吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで/何処(ド)サ/行(エ)ぐどもなぐ/俺(ワ)ア出ハて来たンだ」

 雪の降る日、女房をぶっ叩いて、家の外へ出て、吹き溜まりの雪をかき分けてどこへ行くともなく出てきたのだが、今、まん丸いお月様が浮かんでるなあ、というわけか。

「ドしたてあたらネ憎(ニグ)グなるのだベナ/憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ/そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのアドしたこどだバ」

 自分はどうして女房のことがあんなに憎かったんだろうな。憎いときには可愛がるときより本気になるものなのだなあ。そして、今またあいつのことを可愛いと思うのは、こりゃあどうしたことなんだろう、――と、これはしきりに首を傾げて内省しているふうだ。
 それで、最後はこう詩が締めくくられる。

「あゝ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせェ過ぎでしまれば/まんどろだお月様だネ」

 ああ、何でもかんでも吹雪と同じだな、夫婦げんかも、終わってしまえばこんなにまん丸いお月様が空に浮かんでいる……いやあ、女房につらく当たった夫の感情はすでに丸く収まっていて、空にはただただまん丸い月が浮かんでいるのである。「憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ」か……。男女間の情愛の機微に触れて、なんという絶妙の表現なのだろう。しかもこれは標準語では嘘臭くなってしまうので、青森弁で綴られているから真実味がある。この本に出会ったときの新鮮な驚きが今またあらためて蘇ってきて、しばらく落ち着かなかった。
 作者の高木恭造という人は、明治36年、青森市に生まれ、満州医科大学を卒業して後、弘前市で医者をしていた。医療に従事しながら小説や詩を書き続けたのだそうである。昭和62年、84歳で亡くなっている。タレントの伊奈かっぺいはこの人に多大な影響を受けたという。なんだか分かるような気がする。
 それにしても、一度旅してみたことがある青森県、今はもう雪が降っているのかなあ。
 
 
 
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▲ねぷた山車燈籠。東北地方、特に青森県内で壮んな夏祭り「ねぷた祭り」。このように勇壮な絵柄の山車燈籠が街を練り歩く。弘前方面では「ねぷた」、青森市の方では「ねぶた」と呼ばれているようだ(2013・10・17撮影)

 
 
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▲林檎。青森県ではあちこちで林檎畑を見かけるし、季節になればあちこちの店先に売ってある。無造作に店先に置いてあり、値段も安いので驚く(2013・10・18撮影)