第278回 安か安か寒か寒か雪雪

前山光則

 方言には、標準語にない力があると思う。
 前回は高木恭造の方言詩集『まるめろ』を開いて青森弁の世界に耽ったが、やがて「方言」ということで頭に浮かんできたのが、
 
  安か安か寒か寒か雪雪

 種田山頭火のこの句である。山頭火はこれを昭和6年1月10日に詠んでいるが、日記には「ヤスかヤスかサムかサムか雪雪」とカタカナ交じりに記し、その下に「(ふれ売一句)」と詞書を付している。句集に収めるときにカタカナを止して、漢字を用いたようである。山頭火は前年の9月9日から熊本を発し、八代・人吉・宮崎・大分・福岡方面を12月上旬まで巡るという長旅を行うが、その終わり頃どこかに落ち着きたいとの想いにかられていた。それで、熊本へ戻ってからは妻・咲野と子のいるところへ転がり込むわけにもゆかず、12月25日になって市内春竹琴平町の民家の二階に間借りする。咲野たちがいる雅楽多からほんの2キロあるかないかのところである。そこを「三八九居(さんぱくきょ)」と名づけ、入居してからは個人誌『三八九』を発行すべく編集作業にとりかかる。
 年が明けて、「安か安か……」の句ができた1月10日は、日記の記述によれば「近来にない寒さ」だったそうで、手拭いが凍る。いや、それだけでなくネギや御飯までもがカチカチになってしまったというから凄い。「窓から吹雪が吹き込んで閉口」したそうだ。折しも近くの琴平神社の初縁日で、三八九居の前の街道を老若男女がぞろぞろと通る。それを当て込んで露店業者や触れ売り(行商人)たちが威勢の良い声で客に呼びかける。だが、とにかく手拭いやネギや御飯までもが凍ってしまう極寒の日である。人々の発する熊本弁はみな手短で、素早くて、余計なお喋りにはなっていなかったと思われる。「安か安か寒か寒か雪雪」、切り詰めた最小限の凝縮である。山頭火は、自由律俳句の世界に居たから、文語・定型には収まっていなかった。ほんとに自由に句を作る人だったが、それでもこうして方言で表現したものは他にはほとんどない。しかも、山口県の防府で育っているので、身についているのはどうしても山口弁である。第二の故郷である熊本の方言はさほど慣れ親しんでいなかったはずだが、しかしこの句を見ると立派な使い方であり、いわば、熊本弁の持つ生活感をフルに生かしている。 
 そういえば、昨日、町で見た交通安全標語。「止まれ!! うろたゆるな ようと見らんと 死ぬっとぞ」――道が急カーブしているところに大きな字で掲げられていて、誰にでも目につく。交通安全を呼びかけて、率直に純粋熊本弁で「うろたゆるな ようと見らんと 死ぬっとぞ」である。ギョッとさせられた。山頭火の句といい、道ばたの標語といい、方言の力を感じさせられたことであった。
 
 
 
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▲ひなたぼっこ。小春日和のある日、リンゴ箱の上にネコとカマキリがいた。お互い干渉せずにひなたぼっこである