連載コラム: 『本のある生活』 2017.02.28

第288回 臼内切の丘へ

前山 光則

 2月16日、大分県日田市在住の医師で作家の河津武俊氏が、友人とわたしを臼内切(うすねぎり)へと案内してくださった。
 午前9時半頃、河津氏の奥様の運転してくださる車に便乗して日田市を出発。車は県境の谷間を縫って走り、1時間ほどで熊本県南小国町へ至る。そこからさらに小さな谷を辿るうちに道は細くなり、人家もなくなる。道路に雪が残っており、なんとか行けたものの、やがて路面の凍結が確認されて、危ない。そこからは歩くこととなった。晴天下、風は冷たいけれども気持ちいい。道ばたに生えている雑木の立ち姿が良くて、惚れ惚れする。幹に耳を押しつけてみると、なんだか樹木の息づかいが聞こえそうな感じだ。ただ、道に轍(わだち)や人の足跡があれば、そこは必ず凍ってツルンツルンと滑りやすい。だから、柔らかい雪のところだけを踏んで進まなければいけない。約30分、距離にして1キロ余は登ったろうか。「着きましたよ」と河津氏。ようやく目の前に小高い丘が現れた。友人もわたしも「ほお……」と声を洩らした。そこら一帯が河津氏の著書『肥後細川藩幕末秘聞』(弦書房)の舞台、臼内切なのだそうだ。丘は千人塚とも呼ばれる。南小国町の役場があるところからだと、距離は4、5キロほどだろうか。「標高は600メートルぐらいでしょう」とのこと。人里離れた実にさみしいところであり、「隠れ里」という語がおのずから想起され、悩ましい気分になってしまう。
 かつて、ここらで確かにこじんまりと人びとの営みが行われていたのである。ところが、嘉永6年(1853)、細川藩の派遣した兵員が夜明けとともに集落を包囲し、10数戸の家々に踏み込んだ。およそ5、60人が丘の上で処刑された。伝説によれば、村人たちは隠れキリシタンだった。はたして本当にそうであったのか謎が残るが、ただ、村人が急襲を受け、殺されたということは疑えない。丘のあちこちに小さな盛り上がりがあって、殺された人たちが埋められた塚なのだという。この臼内切のことは石牟礼道子さんも『西南役伝説』という作品の中で取り上げているが、しかし事件の謎そのものに迫って深く探求している点では河津武俊氏の『肥後細川藩幕末秘聞』を置いて他には類書がない。この本は近々、文庫化されるので楽しみである。
 山を下りようとしている時、地元に住む老人と山道で出くわした。その人は、なんと、河津氏の奥様が以前にこのあたりで道に迷った折り、助けてくれたことがあるのだという。「あの時は軽トラックで藪の中を走ってくださったですね」、奥様は老人のその豪胆さに敬服しきっている。老人は「うんにゃあ、あそこらは藪じゃなか。一応、草は茂っておっても道になっとるとばい」と、何食わぬ顔であった。ここら山間部には慣れきっているふうで、実に頼もしそうな顔つきであった。
 
 
 
写真①雪道

▲雪道。空はよく晴れているのに、道には雪があった。用心して進まなくてはいけない

 
 
写真②もうじき臼内切

▲もうじき臼内切。雪が多くなってきて不安になるが、目的地は近くなってきている

 
 
写真③臼内切の丘

▲臼内切の丘。枯れススキがおおっていたが、最近、町が刈り取ってくれたのだという。日当たりがいいので、雪は少なかった。少しだけ盛り上がっているところが全部で12カ所あって、殺された村人たちが埋められたのだと言い伝えられている

 
 
 

こんなのもアリマス

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