連載コラム: 『石にきざむ』 2017.04.13

第十三回 インド・カリーと加藤司書公

浦辺登
 
『南洲遺訓に殉じた人びと』13
 
 大きな石玉を戴いた加藤司書公銅像台座だが、その台座左手前には「加藤司書公略伝」と彫りこまれた碑がある。略伝の末尾に「加藤司書公並筑前勤皇志士百年祭」とあり、委員会長 進藤一馬となっている。薩長同盟のお膳立て手で奔走したにも関わらず、「乙丑の獄(いっちゅうのごく)」で潰滅した筑前勤皇党の百年祭にちなんで建立された石碑だった。重厚感のある碑を見ながら、なぜ、百年祭にちなんで加藤司書公の銅像再建に至らなかったのだろうかと残念に思う。何か事情があったのだろうか。
 多くの方は石碑や銅像台座の背面を気にしない。しかし、誰が、何の目的で銅像建立や石碑建立に関わったのかを知るには、背後にも目を向けなければならない。
 世話人と彫られた板碑には、六人の氏名があった。左から進藤一馬(第十代玄洋社社長、第二十五代~二十八代福岡市長)、阿部源蔵(玄洋社員、第二十二代~第二十四代福岡市長)、中村ハル(中村学園創立者)、田村克喜、岡部繁、奥村茂敏(第二十一代福岡市長)だった。
 この中で唯一の女性である中村ハルの箇所で目が止まった。九州は男尊女卑と評されるが、それは外野がそう思うだけで、実態は異なる。九州男児を育てるのは、背後から叱咤激励する九州女子があってこそ。
 この中村ハル(一八八四~一九七一)の名前を見て思い出すのは、「中村屋のボース」ことインド人のビハリ・ボースから本格的なインド・カリーを伝授されたことである。大正四(一九一五)年、ビハリ・ボースはインドから日本に逃れ来た。その後、新宿・中村屋に婿養子に入った。そこで供されるインド・カリーは評判だったが、是非とも、そのレシピを知りたいと思って再三再四、新宿の中村屋に中村ハルは足を運んだ。しかし、門外不出。そこで、同郷の頭山満(玄洋社)にビハリ・ボースを紹介してもらい、めでたく秘伝のカレーを伝授されたのだった。かつて自身の生命を助けてくれた頭山満の頼みごとであれば、ビハリ・ボースとしても断ることはできなかった。
 福岡で「ハルさんカレー」として親しまれるカレーは、ビハリ・ボースとの関係から誕生したものである。
 
 
 
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▲加藤司書公(銅像)台座裏面碑。中村ハルの名前が中央にある

 
 
 

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