連載コラム: 『本のある生活』 2017.09.25

第309回 コキの感慨

前山 光則

 この連載コラム、梅雨入り前からずっとあっちこっち旅した話ばかりレポートしてきた。はたと気づくと、おや、もうすっかり秋である。近所の田圃の畔に彼岸花が咲いている。柿の実がだいぶん色づいてきている。早いもんだな、とため息が出るくらいだ。
 そう言えば、実は7月22日の朝、娘から「コキ、おめでとう」云々とのメールが届いて、最初はキョトンとしてしまった。何のことなのか、思い当たらない。しかし、しばらくしてから、そうか、今日は俺の誕生日だ。だから娘が祝福のメールをしてくれたわけだ、と、ようやく腑に落ちたのであった。するとつまり「コキ」は「古稀」であり、自分は70歳になったことになる。歳をとるのは早いもんだなあ、と思った。ただ、それは中国唐代の詩人・杜甫の詩に「人生七十古来稀也」とあることから70歳のことは「古稀」と謂われつづけてきたのだが、高齢化が進んできた現代にあって、70歳に到達しても誰も長寿とは見なしてくれぬだろう。また、自分自身が、年齢のことをあまり意識しなくなっている。だから、誕生日の朝、それが70という区切りの歳となったにも関わらず失念してしまっていた。古稀を迎えたことに気づいても、格別の感慨が湧かなかった。
 今になって思い出すのだが、かつて自分が年齢のことを強く意識した時期があった。それは30歳になってからの数年間であった。昭和52年の夏、誕生日が来た途端になんだか胸の中にさみしい風が吹き渡った。心がへこんだ状態というか、しらけた気分。以後、数年間続いたから不思議であった。しかも、胸の中が空虚であっても、現実には酒はじゃんじゃん飲むし、人とのつきあいも盛んだったから、傍目には元気いっぱいだった。それなのに、20歳代の頃と比べて内心ひどくへこたれていた。自分はもう若者ではなく、「おっさん」になってしまった、という気落ち。そして、若者でなくなってしまった空虚さが数年間で消えると、代わりにいくら歳を重ねても実感が湧かないようになった。だから、70歳となった誕生日にも、格別どうという感慨もなかったのである。
 もっとも、一つだけ良い刺激があった。最近、静岡市在住の島村正氏から最新句集『不壊』が届いた。氏は若い頃から敬愛している俳人で、74歳となった現在も盛んに句を詠み、後進の指導も熱心にやっておられる。パラパラと句集を捲っていて、次の一句に目が貼り付いてしまった。

  天心に月あり吾に未来あり

 夜空にきれいな月が浮かんでいたわけだ。それを仰ぎながら、空にお月様があるように、自分にも未来がある、と言いきっている。なんという潔い所信表明であろうか。若い者ならいざ知らず、古稀を越えた人が「吾に未来あり」と断言するのである。ちなみに島村氏は、現在、胃癌の手術を受けて、療養を続けていらっしゃる。その人が、こう詠んだ。この句に目が貼り付いて、ジワーッと共感が満ちてきた。そうだな。自分も今まで癌を5回経験してきた。にもかかわらず、幸いなことに生きながらえている。コキを迎えてどうという感慨もない、などとうそぶかずに、「吾に未来あり」、この心意気に学ぶべきなのだな――そんなことをしきりに思った。
 
 
 
曼珠沙華

▲曼珠沙華。よくしたもので、秋の彼岸頃にはちゃんと咲く。去年よりも今年は花が綺麗なような気がする

 
 
 

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