連載コラム: 『本のある生活』 2018.12.07

第339回 この頃、ようやく

前山 光則

 この頃、ようやく本が読めるようになったと思う。去る7月18日に妻が亡くなって以来、調べ物のために必要があって目を通す本はあったものの、進んで読書をしようという気持ちになれなかった。それが、この頃、少し違ってきた。
 山崎光夫著『胃腸・癇癪・夏目漱石』(講談社)は新聞社から書評依頼があって読んだ本であるが、書名が示すとおり文豪・漱石の生涯が病歴との関連で詳しく辿られている。漱石は「多病才人」であった、と著者は言う。もともと「厭世病」であり、加えて慢性結膜炎・痔疾・胃弱・糖尿病に悩まされた。しかも神経衰弱の傾向があって、被害妄想・癇癪・被追跡恐怖等の症状がつきまとった。この傾向は「吾輩は猫である」を書いている頃が最もひどかったというから驚きである。あのたいへんユーモア溢れる愉快な落語的小説が、ひどい神経衰弱状態の最中に成立したわけである。加えて漱石が胃弱になったのは、その後のこと、小説専門の書き手として朝日新聞の社員となってからだという。胃は次第に悪くなり、胃潰瘍を病んで、結果、漱石は大正5年に49歳で世を去る。
 著者は漱石を、精神的には「病める人そのもの」であり、「強度の神経症にかかっている」とみなす。でも、そうであるにもかかわらず、漱石の日常の生活は破綻していないし、社会人としても家庭人としても生活できている。作品を見ると、神経衰弱を克服しているようにも見える。「これはどうしたことだろう」ということで著者は考察を重ねる。結果、漱石は「書くというその行為そのもの」によって救われた、病んだ状態が「治らずに治った」というレベルに行けたのではなかろうか、と著者は見るのである。著者のこのような見解は、「書く」という行為の根幹に深々と届いているのではなかろうか。
 そういうふうで、とても興味深く読める本であった。
 吉田優子著『耳を澄ませば』(弦書房)、これは5編の作品が収録された小説集だ。吉田さんにとって『十文字峠』『原野の子ら』『旅あるいは回帰』に続く4冊目の著書である。これまでのこの人の本の中で最も興味深く読んだ。全5編に流れているのは、独りで日々を過ごす一女性の孤独、だが孤独でありながらそれは後ろ向きではない。この世に自らが在るということの強い自覚が、最初から最後まで作品を引き締めている。
 
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 時々ミミの鳴き声が恋しくなる。「腹へった」「今帰った、ここ開けて」「ちょっと邪魔、退いて」ミミは声の調子でそんな言葉を伝えた。
 もうあのニャンを聞くことはない。
 だがこの家の静寂に耳を澄ませてみると、自分は全くの一人ではないことを感じる。独りなのだが、ふわっと暖かいものが身の近くに有る。外部から来るものか、身の内に湧くものかわからぬけれど。祖母と過ごしたあの空間、互いにうまく表現できず傷つけあうことの多かった母の愛情、その母と見知らぬ父が残してくれた本への興味、それらは厳存している。少なくともわたしは無駄に生まれてきたのではない。自分の血の中には、祖母のおおらかな命、母のがむしゃらな生、父なる人の見知らぬ命が混じっている。耳を澄ませば微かにかすかにそれが伝わってくる。
 
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 表題作「耳を澄ませば」は「わたし」のこのような表白で最後が締めくくられている。この作品集全体の基調音といえる箇所ではないだろうか。少なくとも今のわたしはそう思う。人は皆、どのような境遇で生きていようと心のどこかに癒しがたい孤独感を有している。だが、「わたし」の「自分は全くの一人ではない」「独りなのだが、ふわっと暖かいものが身の近くに有る」、こうした意思表明を示されると共感せざるを得ないのではなかろうか。親と一緒に住んでいた家の中で、今は独り住まいになってしまっているが、長い年月生活を共にした記憶があり、色々の物の手触りがある。そこを見失わぬ限り、人は独りで日々を過ごせる、そうではなかろうか。共感どころでない、言葉を超えた感動が湧き上がるのを抑えることができなかった。
 渡辺京二著『預言の哀しみ――石牟礼道子の宇宙 Ⅱ』(弦書房)がまたすごい本である。題名が示すように、今年2月に亡くなられた石牟礼道子さんの思想や文学世界を論じた本である。全13編の評論や講演が収められている中、「『椿の海の記』讃」と「『十六夜橋』評釈」と「『春の城』評釈」は書き下ろしなのだという。3編とも力作評論である。これだけでもエネルギーの凄さが分かるわけで、これでいて渡辺氏は御年88歳、はっきり言って「怪物」である。人間、どんなに老いても失ってならぬものがある、という思いを新たにした。渡辺氏の旺盛な仕事ぶりは、それ自体に人を動かす力があるのだ。
 現在、熱中して読んでいるのが田中一彦著『日本を愛した人類学者 エンブリー夫妻』(忘羊社)で、これは『忘れられた人類学者 エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉』の続編である。続編とはいうものの、前著よりもさらに広く深くエンブリー夫妻の生涯と学問的実績、思想の在りようについて辿ってある。ルース・ベネディクトとの比較などは、非常に優れた日本文化論ともなっている。前著といい今度のこの本といい、たいへんな著作だ。
 こうして読書できるようになってきたが、自分の中でどういう変化が生じてきているのか、うまく説明できるわけではない。余裕ができてきたのか、どうなのか。分からぬながら、読めない状態よりも読める方が気持ちが楽である。自分の中の変化に、あまり考え詰めずに乗っかって行こうと思う。
 
 
 

▲冬薔薇。薔薇はだいたいは晩春から夏場にかけて咲く花なのだろうが、こういう冬に咲くのもある。美しい花だ。ただ、棘があるので、手入れする時に厄介だ

 
 
 

こんなのもアリマス

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