連載コラム: 『本のある生活』 2019.06.10

第350回 梅酒を仕込んだ

前山 光則

 前回は梅酒のことを話題にしたが、その後だんだんやる気が出てきた。そして、6月7日、とうとう梅を漬けてみた。
 お昼前、「八代よかとこ物産館」という店へ行った。そこはいつも地元の新鮮な農産物や水産物を売っているので、よく利用する。梅酒用の大梅は5月中旬から出回るが、高値だし、漬け込むには早すぎる。だが、6月に入って1週間なので、もうそろそろ漬け頃の梅が手頃な値段で出ているのではないか、と思ったのだ。
 果たして、予想は当たった。店内に入ってレジのわりとすぐ近くに、一キログラム入り500円という値のついた袋が山をなしている。需要があるからこんなにたくさん仕入れてあるに違いなく、梅酒造りを愉しむ人は世の中にとても多いのだな、と改めて気づかされた。値段も、納得できる。近づくと、桃のような甘やかな匂いがただよう。袋の中に詰められた梅は、直径が3センチから4センチもあろうか、充分に大玉である。そして、青いのもあるが、やや色づいた実も結構多くて、だから桃のような匂いも立ちのぼっているのである。嬉しい。これだとすでに中の種は充分に固くなっているし、果肉の香りも味も良い。せっかくのことだからと、2袋買った。
 次は酒販店に立ち寄り、球磨焼酎一升瓶入りを2本と氷砂糖1キログラム入りを2袋、買い込んだ。これで梅酒の仕込みはすぐにできる。帰宅してすぐに梅の実を洗い、ザルに上げて干しておいた。焼酎は、1本は「のろまの亀」という銘柄。球磨郡球磨村に住む高校時代の同級生が造る逸品である。もう1本、「抜群」。球磨郡多良木町に産する焼酎で、普通本格焼酎の醸造には白麹菌が使われるが、この「抜群」は沖縄の泡盛と同じ黒麹菌で造られている。無論、両方とも米製、常圧式蒸留による製品である。
 その日の午後、漬け込んだ。4リットル用の広口ガラス瓶に、まず大梅2キログラムを入れる。その上に氷砂糖2キログラムを載せる。そして、球磨焼酎をドボドボと注いだ。大瓶を持ち上げると、うん、なんだか、頼もしい重量感である。これが梅酒として呑めるようになるには、おおよそ4ヶ月待つことである。6月7日の仕込みだから、10月上旬。高村光太郎の詩「梅酒」の中に、

 死んだ智恵子が造つておいた瓶(びん)の梅酒(うめしゅ)は
 十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、
 いま琥珀の杯に凝(こ)って玉のやうだ。

 とあるが、これは古酒になってからの趣きである。だから、このような風格は望めないものの、しかしある程度「琥珀」に近い色にはなるはずである。
 梅酒そのものがおいしいのは言うまでもないことだが、後で梅の実を食するのも悪くない。実は、梅は、最初のうち萎んでいくばかりである。漬け込んで4ヶ月ぐらいの頃が、最も小さなシワシワに萎んだ状態になるはずだ。そして、それから後は、今度はまた太って行く。やがて、漬け込んだ時と変わりない大きさに戻っていくのだが、さて、萎んだ状態を好むか、あるいは元の太さに戻ってからの実を食するか、これは人によって好みが分かれるであろう。
 こうやって実に久しぶりに、ほんとに何年ぶりであったろうか、梅酒を仕込んでみた。 仕込みを終えた途端に、なんだかこれが今から熟成して行くのだなあ、と、ウキウキした気分になってきた。だから、はじめガラス瓶は物置の奥深くにしまい込んだのに、1時間も経たぬうちに寂しくてしかたがない。だから取り出して、居間の、わりと目につく棚に上げておくことにした。これだと、毎日いつでも眺めることができる。瓶の中の液体は少しずつ色が変わっていくはず。まるで子どもみたいだな、他愛ないな、と自分でも可笑しくってしかたがない。でも、誰に迷惑をかけるわけでなく、悪いことではなかろう。
 後で『日本大歳時記』を見てみたら、夏の季語「梅酒」のところに、

 わが死後へわが飲む梅酒遺したし         石田波鄕

 という句が例句として挙げられていた。ほう、石田波鄕は自分の死後も梅酒を飲みたくてこういう句を詠んだのか、好きだなあ、と感心した。あの世で、チビチビと飲んでいるのであろう。
 女房が亡くなって、早や1年近くが経つ。その間、一人暮らしになかなか馴れぬまま、毎日毎日、試行錯誤の繰り返しみたいな感じで生活してきた。しかも本を読んでも原稿を書いても虚しい。食事は義務的にかき込むだけ。近くの温泉に入りに行くときだけはわずかに気持ちが和むが、淋しさは消えない。飽き足りぬというか、砂を噛むような思いが常につきまとうのである。だが、今、梅の漬かり具合を観察しようとしている。そうしたくて、心が抑えられない。日々、ごく僅かながら色合いに変化が生ずるのを見るのは、愉しみなのだ。うん、そう、他愛もなく愉しんでみたい。いや、自分自身は、アルコール類を断ってすでに5年ほどになるから、この梅酒を飲むこともない。石田波鄕のように死後の自分へ遺すために仕込んだのでもない。代わりに、たまに来てくれる娘が飲んでくれれば良いし、家に客が遊びに来てくれたら振る舞ったり、土産に持たせてあげたいな、と思う。
 わが家に来てくれる人は、10月以降は車の運転をしなくて済むようにしてから、どうぞお出でください!
 
 
 

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