連載コラム: 『本のある生活』 2019.08.02

第352回 ポツンと暮らすのは……

前山 光則

 この頃の自分の生活習慣を言ってみるが、夜は本を読んだり原稿を書いたりはしない。日が暮れて暗くなると自ずから眠たくなるので、集中力が欠けてくる。だから、よほどの必要に迫られない限り夜間の読書や原稿執筆は控えることにしている。
 その代わり、テレビをよく観る。ひいき番組がいくつかあって、その一つが朝日放送系列の「ポツンと一軒家」である。まず番組スタッフが衛星写真で山中の家を撮影し、その写真を携帯して山の麓まで車で行ってみる。そして、村の人たちに写真を見せて、山中の一軒家について心当たりがないか訊ねる。すると、ずいぶんと離れたところなのだろうに、意外と麓の集落に住む人たちはそこのことを知っている。一軒家までの道順を説明してくれるし、説明するうちに「今からついて来なさい」とスタッフを現地まで案内・誘導してくれることもあるから、田舎の人たちは親切である。
 無論、道は険しい。はじめのうちこそ細いながらもちゃんと舗装されているものの、やがて石ころだらけのデコボコ道となる。路肩にガードもなくて、運転をちょっとでもミスすればたちまち断崖に落ちてしまいそう。そんな難路をグネグネと辿るうちに、ようやく「ポツンと一軒家」が森の中に出現する。あるいは、意外と広く切り開かれた畑地の奥に屋敷がある、建ててから百年以上も経っていそうな古民家もあれば、住んでいる本人が独力で建てた新しい建物もある、といったふうで、テレビは毎回色んなタイプの「一軒家」を見せてくれる。
 観ていていつも感心するのは、山中の一軒家に住み続ける人たちの逞しさである。人里離れた淋しいところであるから、買い物するにも不便、病気でもしたらどうするのだろう、車が故障したら困るはず。ところが、米や野菜類は自分ところで作るし、家や機械類の修築・修繕などもさっさと独力でやってしまう。あるいは、一軒家であっても、方々の人たちとのつきあいがあって、なにか必要な時には親戚や知人・友人たちが手伝いに来てくれる、といったふうである。 日が暮れて、夜が来て、一軒家は闇に包まれてしまう。まさにポツンと孤立した中での長い夜、と同情したくなるが、どうもこちらが察するほどには当人たちは寂しがっていないふうである。
 そんなふうな、各地の「ポツンと一軒家」を毎回テレビで観ていると、なんだか、今、自分は一人暮らしをしていてやたらと淋しい気持ちである。つまり、どうだろう、町なかで隣近所とのつきあいもあまりせぬまま暮らしているわれわれの方がよほど孤独な「ポツンと一軒家」の暮らしをしていることになりはしないだろうか。
 熊本県球磨郡水上村の奥の方が紹介されたのは、まだ春浅い頃だったろうか。スタッフが村へ入り、一軒家について取材を始めたら、たまたま出会ったのが元村長。元村長氏は、スタッフが行こうとしている一軒家の他にも五軒案内してくれて、これには番組のスタッフもゲスト連中も「だいぶんあるのですね」と感心していたが、わたしはひどく懐かしかった。あのあたりは、若い頃、多良木高校水上分校に4年間勤務したが、よく生徒の家を訪問していたのである。ほんとに山中のあちこちに一軒家があって、林道に車を置いたあとは藪をかき分けるようにして細道を辿る。すると、やがて忽然と目の前に一軒の家が現れていた。そうした一軒家が、どこも、きれいに庭が掃き清められ、花が植えられており、いつ誰が訪ねてきても恥ずかしくない状態であった。これには感心していたものであったなあ、と、若い頃が思い出されて懐かしかった。女房のルーツも水上村であるが、親戚に2軒、「ポツンと一軒家」がある。あのあたり、ほんとに山深いのである。
 先週は香川県の山中が出てきたが、住んでいるのはまだ三十代をようやく越えたばかりの若夫婦であった。幼い子がいて、しかもやがてもう一人生まれる予定であるという。生業(なりわい)は、養鶏。というか、鶏をたくさん養って卵を生ませる、それを里の方に売りに行くのだが、餌や育て方にとても努力し、工夫をしているのでたいへん評判がよろしいのだという。へーえ、と感心したのであった。
 テレビ番組「ポツンと一軒家」は人気があり、これからまだ当分は続くようである。愉しみだ。
 
 
 

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