第三十三回 猛暑に迎えられ熊本へ

三原 浩良

◆「うち殺すぞ!」にうっ魂がる
 わたしは記者生活30余年のうち、ほとんどを九州で過ごしてきた。なかば望んだことだった。熊本で5年、長崎に5年、あとは福岡市や北九州市、それぞれの土地に深い思いがあるが、細かなエピソードは『地方記者』に書いたので、なるべく重複を避けて書こうと思う。
 九州最初の任地は熊本だった。もちろんはじめての土地である。
 昭和38年(1963)8月、東京オリンピックの前年の夏、熊本駅に降りたった。
 暑い。とにかく熊本の夏は暑い。第五高等学校で教鞭をとった漱石もラフカディオ・ハーンもこの暑さには閉口したらしい。
 熊本は明治維新なって鎮台がおかれてから〝軍都〟として発展してきた。福岡にその地位を奪われるまでは九州の中心だったので中央官庁の出先が多く、赴任するお役人たちのあいだでは「肥後に行けば子のひとりふたりは亡くすと思え」などと言われるほど昔から暑かった。
 しかし、最初の驚きは猛暑ではなく、言葉。熊本弁の激しさだった。
「ぬしゃあ、うち殺すぞ!」
 日ならずしてかよいはじめた酒場で、いきなり酔漢が大音声を発した。「殺す」とは穏やかじゃない。思わず腰を浮かす。「うち殺す」というからには、飛び道具でも持っているのか、てっきりそう思った。
 実は「うち殺す」の「うち」は「撃ち」ではなく、接頭語の「うち」、「うち食らう」「うち破る」などと使う語勢や意味を強めるあの「うち」であると、やがてわかるのだが、最初は驚いた。
「ばか野郎」「この野郎」をちょっと強めた言い方なのだが、それにしても「殺す」とは物騒だ。これも「ほめ殺し」や「はめ殺し」の「殺し」ほどの意味であろう。
 肥後人はこの接頭語が大好きなのである。「うッ飛ばす」「うっ叩く」「うっ魂(たま)がる」、ちぎると言わずに「ひっちぎる」。ほがすと言わず「うっぽがす」、「きゃあぶる」となんでも語勢を強めたり、誇張するのが好きなのだ。
 わたしの独断ではない。歴史家の渡辺京二氏も『熊本県人』のなかで指摘している。
「肥後弁には、意味や語勢を強めるだけの無用な接頭辞が非常に多い。キャア浮かる、はち来る、ひっちぎる、ばち返す、うっぽげる。傍点の部分は意味上不要である。要するに、真に迫りたいための強意なのである」と。
 のんびりとして口ごもりがちな東北弁になれたわたしにはほとんど驚異だったが、なれてくるとこの土地言葉が好もしく思えてくるから不思議なものだ。

◆「凶悪犯・西口逮捕」に出遅れる
 赴任したばかりの熊本で、この接頭語をふたつもみっつも重ねたくなるような凶悪な事件の犯人逮捕に出くわす。
 昭和38年の列島を震撼させた連続殺人犯・西口彰事件である。
 西口はこの年十月、福岡県で専売公社の煙草集金係と運転手を惨殺、十一月には浜松市で貸席の母娘を殺害、暮れには東京で弁護士を殺害する。列島を縦断しながら大学教授や弁護士になりすまし、大捜査網をかいくぐって詐欺や凶悪な犯行を繰りかえしていた。
 暮れの三十日夜から大晦日の未明にかけ、警察庁は七万軒超の全国の旅館に一斉検索をかけたが、足どりどころか気配すらつかめない。
 数日前、長女が生まれたばかりのわたしは、三日が初出勤だった。三が日は夕刊も地方版もお休みで、おだやかな年明け(のはず)だった。この日の朝刊には「西口? 盛岡の旅館へ」という推測記事が小さく載っていた。
 午後一時過ぎだったか。本社との専用電話のスピーカーが「クマモト、西口がそこで逮捕されてるぞ!」と怒鳴った。当日、出番の記者はわたしひとり。あわてて警察幹部に片っ端から電話を突っ込むが、つながらない。みんな現場にでかけたあとだった。
「熊本のどこで?」
 恥をしのんでおそるおそる本社に尋ねると「立願寺、玉名だ」とまた怒鳴られた。
 タクシーを飛ばして駆けつけた玉名署前にはうわさを聞きつけて集まった人々がむらがり、署内は報道陣でごった返している。
 やがて上空にヘリコプターのエンジン音、頭上から「西口逮捕」のA社の号外が降ってきた。出遅れなんてものじゃない。他社の号外を手にしながら進める取材のみじめなこと、情けないこと、はじめての経験だった。

◆アクロバット撮影失敗と始末書
 失敗は遅れをとっただけではなかった。
「写真、写真。西口の写真を撮れ!」
 言われなくてもわかっているのだが、西口は制服警官ふたりが固める二階の取調室で、とても近づけない。
 表からの攻略が無理なら窓側からならどうか。踊り場の高窓にとりつき、何とかよじ登って窓枠頼りにそろりそろりとモルタル塗りの外壁を進む。踏みはずせば下まで四メートルはあろう。カメラにフラッシュをセットして取調室に外から近づく。カーテンが閉められてなかの様子はうかがえぬ。一度のシャッター・チャンスにかけるしかない。
 左手で窓枠にしがみつき、窓をわずかに引き開け、カメラを持つ右手をカーテンの陰から突っ込んでシャッターを押す。
「コラーッ」
 中から怒声が飛び、窓にカギをかける音がした。
 ドスンと踊り場に飛び降り、先輩記者に撮ったフィルムを渡す。近くの大牟田通信部に送って現像、ほどなくしての返事は―。
「写っとる。西口の手だけが写っとる」
 各社とも写真が撮れず、焦っていた。福岡へ護送するときチャンスがあるだろう、との警察情報を耳にし、玄関前で待機する。
 西口は両脇を警官に抱えられ、群衆にもみくちゃにされながら出てきた。ところが頭からすっぽり頭巾のようなものをかぶり、顔はうかがえない。つい腹たちまぎれに西口の向うずねを蹴っ飛ばした。
「写真を撮らせたら舌を噛みきる」と西口は刑事を脅したそうだ。かくして写真撮影にも失敗、出遅れとあわせて始末書を書くよう、厳命された。
 支局長と始末書をかきはじめたときだった。、取調室でにんまり笑う西口の写真が送られてきた。なんと鑑識課員撮影の写真を現地の記者が入手してきたのだ。結果、おとがめなしとなり、おかげで始末書は免れたが、なんとも後味の悪い結末ではあった。

◆『復讐するは我にあり』後日談
 散々な西口逮捕劇の取材だったが、意外な後日談までついてきた。
 後日の捜査で明らかになったことだが、西口は逮捕の一ヵ月前、わたしの前任地・常磐市(現いわき市)の湯本温泉の旅館で、西口はS弁護士から法定日誌や弁護士バッジを奪っていた。
 この弁護士バッジで西口は人々を信用させ、裁判所で籠抜け詐欺を働いたり、東京では弁護士を殺害している。ところが、このS弁護士、平市(現いわき市)の人権擁護委員をつとめていたので、取材を通じて旧知の人だった。これにも驚いた。
 西口は言葉巧みにS弁護士に近づき、民事訴訟の依頼人をよそおって温泉旅館に誘い、いっしょに風呂にはいる。「私はカラスの行水だから」と先にあがってバッジを奪って逃げた。あとになりS弁護士は肝を冷やしたことだろう。
 西口は事件から七年後に死刑が確定し、福岡刑務所で執行された。
〈西口事件〉と言っても、いまでは知らない人が多くなった。しかし、佐木隆三氏の直木賞受賞作『復讐するは我にあり』や、同名の映画やテレビドラマを記憶している人はかなり多いだろう。
 佐木さんの丹念な取材によって、この稀代の凶悪事件はよみがえり、いまでも読みつがれている。
 後年、出版社時代にわたしは佐木さんのこの代表作を改訂新版として復刊することになる。〈西口事件〉とは、不思議な因縁でつながっている。