第三十四回 「自衛隊より怖いものがある」

三原 浩良

◆「記者の目」は見た!
 赴任当初の熊本支局の布陣は重厚だった。デスクはラバウル航空隊経験者、記者も陸軍士官学校出身者ふたりを筆頭に先輩たちはみな四十代、二十代はわたしひとりだった。
 それが二、三年のあいだに一挙に若がえり、記者全員が二十代、いつのまにかわたしが兵隊頭になっていた。ひとりひとりの記者は兵隊、その頭は兵隊頭と称していた。いまではキャップか。
 その「兵隊」のひとりに、毎日新聞主筆からいまはTBSテレビ「ニュース23」のキャスターに転じた若き日の岸井成格君がいた。
 ちなみに当時の朝日新聞熊本支局には、のち主筆となる舟橋洋一君もいた。ふたりともサツ回り、つまり駆け出し。後年、いずれもワシントン特派員経験ののち、やがて同時期に主筆になるとは思いもよらぬことだった。
 その岸井君のかかわった〈小さな事件〉のことはぜひ書きとめておきたい。以下に『地方記者』から抜粋して引用する。

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 四十三年(1968)に春闘、公労協の統一ストの拠点になった国労熊本地本は熊本駅で二時間の時限ストに入った。しかし、列車が止まるわけでなし「大したことはなかろう」と記者生活二年目の岸井成格記者一人が張りついていた。
 その岸井君から電話が入った。
「国労の幹部が一人逮捕されたけど何だかおかしい。何もやっていないのにパクったみたいだ」
 そりゃ大変だ、と熊本駅にかけつけて詳しい事情を聞く。
 無人のホームに支援労組員約八十人が座り込んでいるところへ当局の退去勧告が出たので、組合員たちはジグザグデモをしながらホームの端に向かう。二十人の鉄道公安官が押し戻そうと二度、三度接触した。その際、デモの列の中にいた国労大分地本の書記長が公安官の列の中に引きずり込まれ、押し倒されて逮捕された。組合員が力づくで手錠のままの書記長を奪い返し、そのとき公安官がひとり軽いけがをした。
 しかし、当の書記長がけがをさせたわけではないという。各社の記者の目撃証言も一致していた。
 目撃していないわたしは半信半疑のまま、岸井君とともに対策本部の責任者に面会を求めるが、「取調べ中」の一点張りで部屋にも入れない。一時間後、対策本部長は「分隊長を殴ってけがをさせたので暴行、傷害の現行犯で逮捕した」と言う。
 殴られたという分隊長を捜して聞くと、「小隊長が(書記長を)逮捕したあとデモに引きずり込まれて眼鏡がはずれた。だれにやられたかのかさっぱりわからない」という。
 それでは話の順序が逆ではないかとただすと、今度は熊鉄局長が「逮捕前に書記長は分隊長のヘルメットを引っ張ったので暴行になる」という。
 岸井君の目撃談と付き合わせてみると、誤認逮捕かでっちあげ逮捕という答しか出てこない。しかし、これも当方の推測に過ぎない。
 推測や判断をいっさい避けて、とにかく事実だけを百行の原稿にまとめた。「〝記者の目〟はこう見た」という見出しで、この記事は翌日の熊本版に九段抜きで載った。
 その朝、熊本地検から岸井君に呼び出しがかかった。事情聴取を受けた岸井君は、メモと地図をもとに目撃した事実を正確に証言した。逮捕されていた書記長は即日、釈放された。

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◆「ブル新」と嫌われても
 岸井君もわたしも国鉄当局や国労に特別な感情を抱いていたわけではない。
 いや、わたしはと言えば、「官憲のイヌとブル新立入り禁止」と入口に大書された国労事務所に入っていくのはいささか気が重かった。「ブル新」とは「ブルジョワ新聞」の略で、当時の革新勢力は一般商業紙のことをよくこう決めつけて、非難したり、排除することがあった。
 安永道義支局長は「自衛隊よりもっと怖いものがある。警察だよ」とよく言っていた。のちにわたしはそれを何度か目の当たりにすることになる。
 この「自衛隊より」には少々説明が必要かもしれない。当時はまだ「自衛隊は憲法違反」とする空気が強く、特車(戦車)の街頭行進や学校での武器展示はメディアでは批判的に報道されることが多かったのである。
 後年、福岡勤務になって、よく学生や労組員のデモの取材をすることも多かった。デモを規制する機動隊の指揮官たちは、違法行為の検挙よりも、むしろデモのリーダーの検挙に熱心なようだった。
 そんな場面に何度か遭遇した。若い機動隊員が指揮官の指示で学生を拘束する。逮捕した機動隊員に「容疑は?」と聞くと「現行犯だ」と答える。さらに「罪名は?」とただすと、しどろもどろになって逮捕者を放してしまうこともあった。
 昭和43年(1938)、米原子力空母エンタープライズの佐世保寄港阻止闘争に向かう全学連の学生が博多駅で下車したさい、待ち構えていた機動隊が学生たちを検問・排除する〝博多駅事件〟が起こった。
 護憲連合などはこれを警察官による特別公務員暴行凌虐・職権濫用にあたるとして告発、地検の不起訴に対し付審判請求をして争っていた。
「博多駅事件」といえば、当時はこの学生の事件を指していたが、いまでは事件の審理を通じて裁判所がテレビ局にニュース・フィルムの提出を命じた事件として記憶されているようだ。
司法担当になって〝博多駅事件〟の審理を取材していたころのこと。裁判の傍聴にデモの隊列を組んでやってくる学生を、警察は福岡地裁正門前に阻止線を張って裁判所構内に入れまいとした。取材に向かうわたしも締め出された。
「入れろ」「入れぬ」ともめていると、「入ってみろ、パクるぞッ」と私服刑事がわたしを脅した。他社の記者たちも抗議してやっと入れたが、こんなひどいこともまかりとおっていた。
 後日、他社の県警担当記者が耳打ちしてくれた。
「あんた、県警の〝好ましくない記者〟ブラックリストに載ってるよ。いや、俺も載っていたけど」
 そうか、やはりあの刑事はあきらかにわたしを名指しで阻止しようとしたんだ、と思う。当時は学生事件や公安事件が多かったので、福岡県警はメディアの取材に異常なほど神経をとがらし、ほとんど敵視していたように思う。
 他方、学生たちからは、「ブル新、ブル新」とあざけられ、敵視されることもあったのである。