第四十二回 佐世保、騒乱の一週間

三原 浩良

◆気の重いエンプラ騒動の取材
 昭和43年1月19日、米第七艦隊の原子力空母エンタープライズがはじめて日本に寄港(佐世保)する。泥沼化しつつあるヴェトナム戦争、そのヴェトナム沖に向かう途中の「補給・休養」目的の寄港だった。
 反戦機運のたかまりに核持込み疑惑もくわわり、革新団体や全学連は大量動員をかけて寄港阻止闘争を組む。とりわけ三派全学連は、各地で警官隊と激しい衝突を繰り返し、五日間四度にわたる衝突で500人超が重軽傷を負った。
 海上では寄港阻止ののぼりをたてた漁船のデモが巨艦エンプラを豆粒のようにとりかこみ、べ平連の小田実さんたちは漁船をチャーターしてハンドマイクで艦上の水兵たちに「反戦」「脱走」を呼びかけていた。
 わたしは福岡への転勤で、引越し直前に佐世保に応援出張を命じられた。昔もいまも新聞社は人使いがあらい。
 いま、黄ばんだスクラップブックをめくってみると、紙面は連日大展開で、書きも書いたり、呆れるほど騒乱の五日間の原稿を書いている。
 しかし、催涙ガスに目をショボつかせながらの騒乱取材は消耗だった。ヘルメット姿の学生たちの角材と、機動隊の警棒がうなりをあげててぶつかりあい、放水と投石の応酬がくりかえされる。米軍基地近くでの日本人同士の激しい衝突の取材は、せつなく気が重い。
 記者やカメラマン4人も警官隊の警棒でなぐられ重傷を負った。TBSのニュース・キャスターの田英夫氏(元共同通信記者)が、機動隊に追われるように市民病院ビルの軒下に逃れる姿がちらりと見えた。
 上陸した水兵たちが続々とゲートから吐きだされてくる。北爆の尖兵である戦闘機のパイロットたちは、声をかける報道陣に無言で基地に消えていく。水兵たちが「オー、NBC」と声をあげる。地元長崎放送記者の腕章の「NBC」を米三大ネットワークのNBCと勘違いしている。
「東京オブザーバー」の大森実氏もしきりに水兵たちに声をかけている。大森氏はわたしが入社したときの毎日新聞の外信部長だった。40年に北ベトナムに乗り込み、米軍の北爆でハンセン病院が爆撃されたことを特報した。帰社した大森氏を編集局の全員が立ちあがって拍手で迎えたという。
 ところが、駐日米大使ライシャワーに「記事は誤報だ」と名指しで非難され、翌年退社し、前年、月刊紙「東京オブザーバー」を立ち上げたばかりだった。

◆外人バー街の水兵たち
 米軍基地の街で出会った忘れがたい水兵たちのスケッチを掲載記事や『地方記者』から引いておきたい。

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 水兵は学生たちが引きあげた夕刻から、まだ催涙ガス漂う街に繰り出してくる。
「歓迎! 騒いでいるのは労働組合や市外からやってきた左派の学生だけ。彼らが目ざすのは日本の赤色革命である」なんて凄い内容の米兵向けの英文チラシが配られる一方で、べ平連は脱走を呼びかけるリーフレットを配っている。
 ビア樽のように肥え、ポパイのような腕をした巨漢の海兵隊員に呼びとめられた。すでに一杯ひっかけ「オンナを世話しろ」と言う。「ふざけるな!」と言いたいところを我慢して「NO」。
「日本語ではGirlはなんと言うか」としつこい。「辞書でも引きな」と突き放すと、「本屋へ連れて行け」と食い下がる。仕方なく書店に案内すると、なんと米兵用の英英辞典(英和?)が棚に並び、「Girl→ONNA」とあって驚く。
 街をぶらついていた二人連れの若い水兵を、強引に喫茶店に誘って話を聞く。ふたりが見せてくれた認識票によれば、アイオワ出身のロバートとミシガン出身のリチャード、ともに二十歳、大学の途中で兵役に引っ張られたという。
 雑談のあと、ロバートがポケットから、脱走を呼びかけるベ平連のリーフレットをとりだして、テーブルに置いた。
「スウェーデンに行った彼らは本当に自由なのか」とロバートが聞く。彼らとはリーフレットにある、米艦イントレピッド号から脱走した四人の反戦米兵のことである。
「亡命を許されたのだから自由のはずだ」と返すと、「スウェーデンは素晴らしい」と言う。
 ロバートがポケットから恋人の写真をとりだして、「国に帰りたい」とつぶやいた。「オレも早く帰りたいよ。専攻の商業美術をもっとやりたい」と、リチャードもうなずく。
 重苦しい雰囲気から彼らの厭戦気分がうかがえる。「亡命したい」と告げられたらどうしよう、内心ハラハラしながら片言の会話をつづける。
「寄港すると金だけムダに使う。ああ、ツーモア(あと二年だ)」とため息まじりのロバートは機械工学専攻。「オレはあと一年だ」とリチャード。そのリチャードが「君もエンタープライズの佐世保寄港に反対か」と逆に聞いてきた。やはり激しい反対運動が気になるらしい。
「う~ん、戦争を憎む。だが、アメリカ人は好きだよ」と苦しまぎれに答えにならぬ、返答をする。まだあどけなさの残るふたりの肩に、ヴェトナム戦争はあまりにも重すぎるのだろう。
 昼間、同じ年ごろの日本の若者たちが血を流した街にふたりは消えていった。その後ろ姿を見送りながら、なんとも複雑な思いにとらわれた。
 学生と機動隊の衝突取材も気が重かったが、自分たちの戦争に自信のもてないアメリカの学生の孤独にも同情がわく。
 戦闘への緊張からひととき解放されて夜の街にくりだした水兵たちで、外人バー街は喧騒をきわめていた。そのにぎわいを少し離れて見守る年配の警察官がぼやいたひとことも忘れられない。
「彼らが一杯やるのまでわれわれが守らにゃいかんのですかねえ」

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