第五十八回 「投げた石」は返ってくる

三原 浩良

 週刊誌に一部の月刊誌も加わって〝朝日バッシング〟が続いている。
 しかし、同じメディアとして彼らには、あんなに居丈高に朝日の誤報を責めたてる資格があるのか、と疑う。誤報は責められても仕方がない。だが、いささか冷静さを欠いたヒステリックなバッシングは少々異常である。
 池上彰氏が、加熱する朝日バッシングについて聖書の一節を引き「罪なき者、石を投げよ」と、寄ってたかって「石を投げる」メディアに自制を求めている(「週刊文春」)。
「朝日は批判されて当然ですが、批判にも節度が必要なのです」と。
わたしも共感する。もって「他山の石」とすべし、と思う。投げた石はかならずブーメランのようにわが身にハネかえってくる。

◆年の瀬の美談にコロリ?
「誤報」の話を続ける。
 はたしてこれが誤報といえるかどうか。こんな経験もあった。
 デスク番についていたら、警察担当のT記者が「いい話がありますよ」と〝売り込ん〟できた。
 暮れの北九州市の繁華街、買い物客に赤ん坊を預けたまま、姿を消した母親がいた。生まれてまもない坊やは養護施設に引き取られたが、三年ぶりに母親が坊やを引き取りに現れたという。
「母はわたしが幼いころから客をとり、そのあいだは夜でも家に入れてもらえず、遠くから家に灯りがつくのを待っていた。灯りがつけば帰ってもよいという合図だった」
 坊やの母親は、涙ながらに自分の生い立ちを語り、「この子の将来と自分の生い立ちが重なって」と泣きくずれ、引き取りたいと警察官と検察官に頼みこんだ。
 まるで小説や映画で見聞きしたような、こんな身の上話にみんなコロリとだまされた。
 一応、保護責任者遺棄の疑いで取り調べたが、捜査員も検察官も同情をおしまず、「いつも殺伐な事件ばかり扱っているけど、今度ばかりはホロリとさせられた」と無罪放免、母子の再出発を励ましたという。
 新聞はもともと美談が好きだ。まして暮れの〝心あたたまるちょっといい話〟となれば、とびつくのは今も昔も同じである。
 涙もろいT記者も、目頭を熱くしながらペンを走らせた。記事は社会面に大きく載った。

◆みんな詐話師にだまされた
 その一年後、わたしは長崎にあった。くだんのT記者から突然、電話があった。
「あの女、とんでもない食わせ者でしたよ」
 T記者によれば、彼女、名前も年齢もでたらめなら、当の坊やの母親ですらなかった。もともとこの坊やは知人が愛人に産ませた子だったが、住民登録を詐取して、蒸発した知人の奥さんになりすまし、いったんは坊やを引きとったあとで捨てたという。
 ところが、この知人が労災事故で亡くなった。これさいわいと替え玉になりすまして生命保険金と労災補償あわせて二千七百万円を受け取り、別の男性と結婚した。
 しかし、さすがに他人の生命保険までだましとっては気がひけたのか、赤ん坊を引きとりにあらわれたものらしい。
 その後の捜査でこうした事実があきらかになり、あらためて御用となったが、鬼検事もベテラン捜査員も労基署の係官もそろってコロリとだまされた。
 可哀想なのはこの坊やで、母親でもない女にひきとられて一年間もつめたくされたあげく、ふたたび施設に引きとられていった。
 T記者も「師走の心あたたまる人情話」にテもなくだまされ、美談に仕立てあげた。むろん、わたしもその片棒をかついだわけだ。
 これも一種の誤報かもしれない。彼女の話を裏付けもとらずに鵜呑みにしたのだから。詐話師・吉田某の話の裏を取らずに書いた「朝日」と同断?
 いや、そうとも言えないか。こちらは一年後の事件発覚で「訂正」されたのだから。