第六十九回 厳しい地方出版の経営事情

三原 浩良

◆勘定たりて銭足らず
 33年つづけた記者稼業に未練がないわけではなかったが、否も応もない、陰ながら応援してきた久本三多・葦書房社長の急逝で、その経営を引き受けることになった。
 もともと出版には縁があった。東京、大阪で大小三つの出版社あわせて2年足らず働いてきた。葦書房でもゴーストライターを引き受けたり、ときに校正を手伝うこともあったから出版・編集の仕組みや段取りは承知していたし、葦書房のスタッフとも顔なじみではあった。
 しかし、経営となるとこれは未知の世界である。毎期末、彼から受ける経営報告から厳しいとは承知していたが、引き受けるからには全力を傾注せねばなるまい。そう覚悟をきめて臨んだ。
 さいわい10人たらずのスタッフはみな優秀でたよりになる。あまり硬く構えず、大人のクラブ活動くらいの気持ちで、と引き受けた。ただこのクラブ活動にはすべてにカネがついてまわるのが厄介である。
 久本君の「遺稿・追悼集」の年譜をみると、平成4年の項に「この頃経営の苦しさを頻りに漏らす」とある。彼、逝去の2年前である。
 その年の決算数字をみると、売上げに対し印刷費や人件費などの諸経費が9割にもなっている。これでは利益は出ないから、彼が苦衷を漏らすのも無理はない。
 出版の流通は独特かつ複雑で、外部からはなかなかわかりにくい。新刊書は取次店と呼ばれる書籍の卸問屋を通じて書店に委託配本される。配本された段階でいったんは売上げに計上されるが、実際に入金されるのは半年後、そのとき返品分が相殺される。返品が多ければ清算時の売上げはガクンと落ちる。
 だから帳簿上の売上げは、実際は見かけの売上げで、現金がすぐには入ってくるわけではない。この間のやりくりが大変になるのである。
 しかし、決算書ではこの見かけの売上げや在庫(売れ残った本)も資産に計上されて課税対象となり、帳簿上は黒字になる。こんな「勘定たりて銭足らず」が常態化すれば、不足する運転資金は借入金で埋めざるを得なくなる。
 こんな状況下で経営を引き継いだわたしの第一のテーマは、経営の建て直しであることがはっきりしてきた。

◆尋常ならざる経営の苦労
 だが、ことは口でいうほど容易ではない。見かけの決算数字には長期借入金の返済や遅れている印税や諸未精算金などの〝隠れ負債〟は含まれていないから厄介だ。
 こうした出版経理の仕組みは、いきおい売上げ増を追いかけるあまり自転車操業に陥りやすい。新刊書を次々取次店に納品すれば、一時的に見かけの売上げを増やせる。この業界では、実際に決算期前に新刊書が市場にあふれることもありがちなのだ。やがてそのツケは後日の返品の清算や手形の決済にまわってくるから、資金繰りに追われることになる。この悪循環に陥るまえに経営立て直しが必要になってくるのである。
 久本君はこれあるを予想していたのかどうか、経営者保険に加入していた。その保険金から退職金や弔慰金を支払い、銀行以外の個人・団体からの借入金、支払いが遅れていた印税などを清算した。さらに印刷費などの手形の決済が待っている。この保険金がなければ葦書房の建て直しはいっそう困難になっていたに違いない。
 後年のことになるが、旧知の中堅出版社の社長が急死した。死因は伏せられていたが、葦書房をはるかにうわまわる負債を清算するための自殺だったと聞いて愕然としたものである。
 わたしが久本君に伴走した24年ばかりのあいだに、二度ばかり彼から資金繰りの苦しさを打ち明けられ、相談を受けたことがある。
 当時の有限会社の出資金の下限は100万円であったが、これでは2億円前後を売り上げる事業としては経理が硬直化し、運転資金にも事欠き、金融機関からの融資に依存せざるを得なくなる。
 彼は苦境の打開策として増資による株式会社化をめざし、知人、友人から出資を募ったこともあるが、これは出資というより資金カンパのようなもので、とうてい苦境脱出の決定打にはならなかった。
 二度目はさらに厳しい状況にあったころだったのだろう。ほとんどの印刷を発注していた大手印刷会社から、その傘下のソフト部門として出直さないか、と持ちかけられたことがあった。そうなれば経営の苦労は軽くなる。珍しく弱気になった彼は迷っていた。
 しかし、そこまで経営事情が厳しいとは知らぬわたしは「それじゃ、今までの苦労はなんだったのだ」と、即座に断るよう直言した。結局、彼も苦渋のうちに決断し、迷いもふっきれた様子だった。
 だが、そのため彼の苦労をさらにふやす結果になってしまったのかもしれない。